SUBARU健康保険組合太田記念病院
群馬県太田市にある病院
(総合太田病院から転送)
SUBARU健康保険組合太田記念病院(すばるけんこうほけんくみあいおおたきねんびょういん)は、群馬県太田市にあるSUBARU健康保険組合設置の病院。25の診療科を持つ。群馬県の災害拠点病院でもある。 通称:「総合太田病院」や単に「太田病院」と呼ばれている。
太田記念病院 | |
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情報 | |
正式名称 | SUBARU健康保険組合太田記念病院 |
英語名称 | Subaru Health Insurance Society Ota Memorial Hospital |
前身 | 太田病院、総合太田病院 |
許可病床数 |
404床 一般病床:354床 感染症病床:4床 |
職員数 | 981(2019年8月1日現在) |
機能評価 | 一般200床以上500床未満:Ver5.0 |
開設者 | SUBARU健康保険組合 |
管理者 | 有野浩司(病院長) |
開設年月日 | 2012年6月1日 |
所在地 |
〒373-8585 |
位置 | 北緯36度17分55.37秒 東経139度21分36.76秒 / 北緯36.2987139度 東経139.3602111度 |
二次医療圏 | 太田・館林 |
特記事項 |
地域災害拠点病院 地域周産期母子医療センター エイズ診療協力病院 |
PJ 医療機関 |
沿革
編集1938年に中島飛行機太田製作所の付属施設として開院した病院を起源とする。その後1945年8月に終戦による飛行機工場閉鎖に伴って閉鎖されるが、1946年1月10日に富士産業健康保険組合太田病院として開院した。富士重工業の健保組合の統合などにより何度か開設者名が変更されたが、1961年に現在の開設者になり、1975年に総合病院の認可を受け富士重工業健康保険組合総合太田病院の名称になる。2012年に新築移転して富士重工業健康保険組合太田記念病院の名称に変更される。2017年4月に富士重工業健康保険組合がSUBARU健康保険組合に名称変更、当院はSUBARU健康保険組合太田記念病院の名称になる。
慶應義塾大学病院と提携しており、「慶應義塾大学関連病院会」に所属する[1]。
年表
編集- 1938年 - 中島飛行機太田製作所付属太田病院として開設
- 1945年8月 - 終戦と伴に病院閉鎖
- 1946年1月10日 - 富士産業太田健康保険組太田病院として開院
- 1950年 - 開設者変更 富士工業太田健康保険組合太田病院となる
- 1953年 - 准看学校を開設
- 1955年 - 開設者変更 富士重工業太田健康保険組合太田病院となる
- 1959年 - 准看学校を廃止し、高等看護学校(現・太田高等看護学院)を開設
- 1961年 - 開設者変更 富士重工業群馬健康保険組合太田病院となるが、同年中に富士重工業健康保険組合太田病院と再変更される
- 1965年 - 総合病院の認可により富士重工業健康保険組合総合太田病院に名称を変更
- 1975年 - 人工透析センターを開設
- 1978年 - NICU新設
- 1991年 - 高等看護学院3年課程開設
- 1997年 - 災害拠点病院の指定を受ける、訪問看護ステーションを開設。
- 1999年 - 居宅介護支援事業所の認可を受ける。
- 2001年 - 日本医療機能評価機構より一般Bの認定をうける。
- 2012年6月1日 - 群馬県太田市大島町455番1に移転して太田記念病院に名称変更するとともに、地域救命救急センターを開設。三次救急医療機関となる。
- 2017年4月1日 - SUBARU健康保険組合太田記念病院に名称を変更[2]
敷地
編集中島飛行機太田製作所付属太田病院
編集中島飛行機太田製作所に隣接し、当初の専有の敷地面積は12万6624 ㎡で現在の敷地の約2.6倍広かった[3]。しかし1945年には敷地が大きく縮小している[4]。
総合太田病院
編集中島飛行機付属の八幡住宅内の八幡寮の一部を転用した。八幡寮は総合太田病院・八幡市営住宅・太田市立西中学校などになった。八幡寮の南側は社宅が広がっていた。
太田記念病院
編集保険指定施設
編集診療科等
編集- 歯科系