結城 持藤(ゆうき もちふじ)は、室町時代の武将である。越後守を務めた。通称は十郎、勘解由左衛門尉。
足利義満の寵臣・結城満藤の子。奉公衆二番衆に名前を連ねている。史料上確認できる下限は『蔭涼軒日録』寛正3年(1462年)5月1日条である[2]。