細萱戊子郎
日本の海軍軍人
細萱 戊子郎(ほそがや ぼしろう、1888年(明治21年)6月24日 - 1964年(昭和39年)2月8日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
細萱 戊子郎 | |
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生誕 |
1888年(明治21年)6月24日 日本、長野県 |
死没 | 1964年(昭和39年)2月8日 |
所属組織 | 日本海軍 |
軍歴 | 1910年(明治43年) - 1943年(昭和18年) |
最終階級 | 海軍中将 |
経歴
編集農業、細萱伊勢吉の四男として長野県南佐久郡桜井村(現佐久市)に生まれる。野沢中学を経て、1908年11月海軍兵学校(36期)を卒業し、1910年に少尉任官。1914年海軍水雷学校高等科を卒業後、駆逐艦「樺」乗組、第1特務艦隊参謀、佐世保鎮守府副官などを歴任。1920年、海軍大学校(甲種18期)を卒業。以後、第4戦隊参謀、軍令部第2班第4課参謀、「夕張」副長、「日向」副長、呉軍需部第1課長、「鳥海」艦長、軍需局第1課長、佐世保工廠造兵部長、「陸奥」艦長などを歴任し、1935年海軍少将に進級。
以後、第5水雷戦隊司令官、海軍通信学校長、海軍水雷学校長兼務、第4水雷戦隊司令官、第1航空戦隊司令官を務め、1939年に海軍中将・旅順要港部司令官を拝命。その後、第1遣支艦隊司令長官を経て、1941年7月、第5艦隊司令長官となったが、アッツ島沖海戦での指揮の不手際により更迭され、1943年予備役に編入された。同年11月から1946年3月まで、最後の南洋庁長官を務めた。その後公職追放となった[1]。
栄典・授章・授賞
編集- 位階
- 勲章