細川 隆是(ほそかわ たかよし)は、戦国時代武将大内氏足利将軍家の家臣。官位宮内少輔

 
細川隆是
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 永禄8年5月19日1565年6月17日
官位 宮内少輔
主君 大内義隆足利将軍家
氏族 細川氏
父母 父:細川是久
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略歴

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細川氏の一族とされるが、詳しい系譜は不明である。父・細川是久(よしひさ、?-1543、宮内少輔)の代から大内氏に仕えており、元服時に主君・大内義隆偏諱を受けて隆是と名乗る。天文12年(1543年)、義隆の養嗣子・大内晴持の陣没に関連して父・是久が亡くなった(晴持と同じく溺死か)のに伴い、家督を継承したものと推測される。なお、周防国大内氏と関係の深い細川氏として細川晴広がいる[1]

天文20年(1551年)に大寧寺の変で義隆が自刃すると、山口を離れて京都へ移り足利将軍家(当時の将軍は足利義輝)に臣従し御部屋衆となった[2]

その後、永禄8年(1565年)に起きた永禄の変で義輝が亡くなると、近侍していた隆是もこれに殉じて自害した。

関連作品

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  1. ^ 山田康弘『足利将軍直臣としての細川幽斎』森正人、鈴木元編『細川幽斎 戦塵の中の学芸』(笠間書院、2010年)
  2. ^ 木下昌規『足利義輝(シリーズ・室町幕府の研究)』(戎光祥出版、2018年)