紫禁城 (ベトナム)
フエ市にある二重城郭の1つ。金色と紫色の宮城。
紫禁城(しきんじょう、トゥー・カム・タン、ベトナム語: Tử Cấm thành)とは、ベトナムのフエ市に所在する「二重城郭」の一つである。フエ市の古都遺跡群に含まれ、阮朝の皇帝と皇室の日常的な活動の中心となる建築群であった。

紫禁城は太和宮の後方に位置し、城内には大小合わせて50以上の建物がある。その数は歴史的な時期によって変動するため、統一された区画がなく、常に幾つかの小さな区域に分かれている。
嘉隆三年(1804年)に建設され、当初は「宮城」と漢字表記されていた。阮朝の歴代帝王はその後、さらに多くの建物を増築していた。また、明命三年(1822年)に表記を今の「紫禁城」に改め[1]、これにより「一般の人々が立ち入ることを禁じられた紫色の宮城」という意味が込められるようになった。ここでの紫という漢字は、「色としての紫」を指すだけでは無く、「天子」を意味することもある。これは紫の発音が天子の「子」と同じであるためであり[2]、この用法はベトナムや日本・中国にも共通している[3]。
出典
編集- ^ “Trung tam bao ton di tich Co Do Hue”. web.archive.org (2011年8月27日). 2025年3月5日閲覧。
- ^ “Thế giới du lich , Du lịch trong nước , Du lịch nước ngoài ,The gioi du lich - du lich nuoc ngoai, du lich viet nam, dat phong khach san, ve may bay, ve tau, visa - ho chieu - Cố Cung - Tử Cấm Thành Bắc Kinh”. web.archive.org (2008年8月20日). 2025年3月5日閲覧。
- ^ 朱誠如 教授 (2012年6月2日). “故宮” (中国語). 北京大学 歴史系. p. 18. 2025年3月7日閲覧。 “古代天文學家認為紫微星垣位於中天,是天帝的居所,故將天帝所居的天宮稱為紫宮。皇帝貴為天子,也將皇宮喻為紫宮,以期江山永固、四方歸順、八面來朝。(古代中国や漢字圏では、紫微星を天の中心にある「天帝の居所」と考え、「紫宮」と称した。また、皇帝は天帝の子孫とされ、「天子」と呼ばれた。そのため、天子の宮殿も「紫宮」と喩えられ、「紫禁城」や「紫宸殿」などの美称も生まれた。)”