素鵞神社 (小美玉市)
素鵞神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 茨城県小美玉市小川古城1658-1 |
位置 | 北緯36度10分17.4秒 東経140度21分30.2秒 / 北緯36.171500度 東経140.358389度座標: 北緯36度10分17.4秒 東経140度21分30.2秒 / 北緯36.171500度 東経140.358389度 |
主祭神 | 素戔嗚尊 |
社格等 | 旧村社、神饌幣帛料供進神社 |
創建 | 享禄2年(1529年) |
例祭 | 7月23日 |
地図 |
小美玉市南東部の小川地区(旧・小川町)の鎮守である。
歴史
編集創建は享禄2年(1529年)、橋本源左衛門・孫左衛門の兄弟が園部川の河口で遊漁中に御神体を発見したことに始まる[1][2][3]。「牛頭天王にして陰神、陽神」であると自ら神託する御神体を、兄弟が祀って奉仕していたところ、翌年の享禄3年(1530年)、話を聞いた小川城主・薗部宮内少輔によって、陽神の素戔嗚尊を城外に、陰神の櫛稲田姫命を城内に、それぞれ社殿を造営して分祠することになった[1][2]。
以来、旧暦の6月1日・7日・11日・13日(新暦では7月11日・17日・21日・23日)の4日間に渡って執り行われる「四度(よど)のまつり」(祇園祭)が始まり、今日まで約500年続いている[1][2][3][4]。
神社は元々は「天王宮」(天王さま)と呼ばれていたが、徳川光圀率いる水戸藩の尊皇思想の影響を受け、神仏混淆の社号を天保11年(1840年)、現在の社号「素鵞神社」に改めた[1][2]。鎮座地も低地の墓所近くから、明治2年(1869年)、高台の旧小川城の外曲輪があった現在地に遷座された[1][2]。
明治3年(1870年)には小川鎮守となり、明治6年(1873年)村社に列格、明治40年(1907年)には神饌幣帛料供進神社に指定された[1][2]。
祭神
編集文化財
編集- 社宝[5]
- 文化財[5]