紋谷暢男
紋谷 暢男(もんや のぶお、1936年8月21日[1]- 2016年4月23日[2][3])は、日本の法学者。専門は知的財産権法。学位は、法学博士(東京大学・課程博士・1967年)。成蹊大学名誉教授。
人物情報 | |
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生誕 |
1936年8月21日 日本 |
死没 |
2016年4月26日(79歳没) 日本・東京都 |
出身校 | 東京大学 |
学問 | |
活動地域 |
日本 西ドイツ |
研究分野 |
民事法学 知的財産法 |
研究機関 |
成蹊大学 マックス・プランク知的財産法研究所 |
学位 | 法学博士(東京大学) |
称号 | 成蹊大学名誉教授 |
学会 |
日本工業所有権法学会 著作権法学会 日本私法学会ほか |
経歴
編集1936年東京都千代田区霞が関生まれ。1955年群馬県立高崎高等学校卒業。1960年東京大学法学部第一類(私法コース)卒業、1962年同法学部三類(政治コース)卒業、1967年同大学院法学政治学研究科博士課程修了(総代[要出典])、東京大学より法学博士の学位を取得[4](学位論文「実用新案客体論-ドイツ・日本の沿革を中心として-」。1967年、成蹊大学法学部助教授。1975年、教授。2004年、法科大学院教授。2007年、定年、名誉教授。
1972-1974年、西ドイツ・マックス・プランク研究所客員研究員(特許、著作権、競業法)。
所属学会
編集- 西ドイツ、マックス・プランク研究所客員研究員(特許法、著作権法、競業法) (1972年(昭和47年)3月 - 1974年(昭和49年)3月)[5]
- 日本私法学会会員(1962年(昭和37年)10月 - )
- 日本経済法学会会員(1962年(昭和37年)10月 - )、同学会理事(1984年(昭和59年) - 2006年(平成18年))
- 日本工業所有権法学会会員(1974年(昭和49年)10月 - )、同学会理事(1974年(昭和49年) - 2009年(平成21年))
- 日本ドイツ法学会会員(1974年(昭和49年)11月 - )
- 日本著作権法学会会員(1983年(昭和58年)10月 - )、同学会理事(1987年(昭和62年) - 2008年(平成20年))
- 日本国際経済法学会会員(1991年(平成3年)10月 - )、同学会理事(1991年(平成3年) - 2006年(平成18年))
著作
編集編共著
編集- 『特許・意匠・商標の実務相談』吉藤幸朔共編 有斐閣 実務相談シリーズ 1972年
- 『商標法50講 全条文つき』編 有斐閣双書 1975年
- 『特許の出願 特許・実用新案・意匠・商標・商号・著作権の登録・登記手続 全訂版』竹田和彦共編集 ダイヤモンド社 1976年
- 『特許・意匠・商標の法律相談 新版』吉藤幸朔共編 有斐閣 法律相談シリーズ 1977年
- 『最新特許の出願 特許・実用新案・PCT・意匠・商標・商号・著作権の登録・登記手続』竹田和彦共編集 ダイヤモンド社 1978年
- 『特許法50講』編 有斐閣双書 1978年
- 『商標法50講 全条文つき 改訂版』編 有斐閣双書 1979年
- 『意匠法25講 全条文つき』編 有斐閣双書 1980年
- 『著作権のノウハウ』半田正夫共編 有斐閣選書 ビジネス法務シリーズ 1982年
- 『注釈特許法』編 有斐閣ミドル・コンメンタール 1986年
- 『プログラム著作権とは何か』板東久美子・作花文雄共著 有斐閣新書 1988年
- 『知的財産権とは何か』編 有斐閣新書 1989年
- 『現代経済法講座 7 新技術開発と法』満田重昭・渋谷達紀共著 三省堂 1993年
- 『JASRAC概論 音楽著作権の法と管理』編 日本評論社 2009年
記念論文集
編集- 『知的財産権法の現代的課題 紋谷暢男教授還暦記念』発明協会 1998年
- 『知的財産権法と競争法の現代的展開 紋谷暢男教授古稀記念』発明協会 2006年
ゼミ生
編集脚注
編集- ^ 『著作権台帳』
- ^ https://twitter.com/shimanamiryo/status/724511741124730881
- ^ 成蹊大名誉教授の紋谷暢男氏死去 産経新聞 2016年4月25日閲覧
- ^ a b 仲裁人・中立評価人・単独判定人・あっせん人候補者名簿 紋谷 暢男 (財)ソフトウェア情報センター ソフトウェア紛争解決センター
- ^ a b 教員プロフィール > 紋谷 暢男 - ウェイバックマシン(2013年1月13日アーカイブ分) 成蹊大学法科大学院