紀俊忠
紀 俊忠(きい としただ、1892年(明治25年)12月5日[1] - 1970年(昭和45年)1月22日[1][2])は、大正から昭和期の技術者、実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。旧姓・今園[1]。
経歴
編集男爵・今園国映の二男として生まれ、男爵・紀俊秀の養子となる[1][3]。養父の死去に伴い、1940年(昭和15年)11月1日、男爵を襲爵した[1][3][4]。
1917年(大正6年)京都帝国大学理工科大学機械科を卒業[2][3][5]。三井鉱山に入社[2][3][5]。1936年(昭和11年)石炭液化工業の視察のためドイツに出張[5]。1937年(昭和12年)満州合成燃料錦州工場の設計・建設に従事[5]。1942年(昭和17年)朝鮮飛行機製作所長に就任[2][5]。1944年(昭和19年)日本人造石油取締役に出向した[2][5]。
1946年(昭和21年)5月11日、貴族院議員補欠選挙で当選して貴族院男爵議員に就任し[6]、公正会に属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1923年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 和歌山県史編さん委員会編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会編『平成新修旧華族家系大成 上巻』社団法人霞会館、1996年。
爵位 | ||
---|---|---|
先代 紀俊秀 |
男爵 (紀伊国造)紀家第3代 1940年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |