紀伊大和地震
1899年に発生した地震
紀伊大和地震(きいやまとじしん)とは、1899年(明治32年)3月7日に発生したマグニチュード6.9から7.0の地震である[2]。奈良県と三重県の県境付近の深さ40から50キロメートルほどのフィリピン海プレート内での地震であったとされている[3][4]。
紀伊大和地震 | |
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本震 | |
発生日 | 1899年(明治32年)3月7日 |
震央 | 日本 奈良県・三重県県境付近 |
座標 | 北緯34度06分 東経136度06分 / 北緯34.1度 東経136.1度座標: 北緯34度06分 東経136度06分 / 北緯34.1度 東経136.1度[1] |
規模 | マグニチュード(M)7.0 |
最大震度 | 震度6強:三重県尾鷲町※1 |
地震の種類 | 大陸プレート内 |
被害 | |
死傷者数 | 死者7人・負傷者62人 |
被害地域 | 奈良県・三重県 |
注記:※1 『歴史地震』第28号、歴史地震研究会、2013年、38頁
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プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
この地震では主に三重県などの近畿地方南部に被害が出た。特に三重県南部では、尾鷲市などで死者7人、負傷者62人、35軒の家屋が全壊し[5]、道路決壊が50箇所で発生した[6]。
出典
編集- ^ 日本地震学会『日本付近の主な被害地震』
- ^ 神田, 克久、武村, 雅之「南海トラフ沿いの沈み込むスラブ内で発生した歴史地震の震度による地震規模推定」(PDF)『歴史地震』第28号、歴史地震研究会、2013年、35-48頁、ISSN 2189-9630。
- ^ “三重県の地震活動の特徴”. 地震調査研究推進本部(文部科学省管轄). 2017年12月22日閲覧。
- ^ “奈良県の地震活動の特徴”. 地震調査研究推進本部. 2017年12月22日閲覧。
- ^ “三重県在住の皆様へ”. 都道府県別の地震発生状況. 東京海上日動. 2018年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月22日閲覧。
- ^ 『東南海地震から50年「尾鷲を襲った地震と津波」』(PDF)尾鷲市立中央公民館郷土室、1994年12月1日、20頁 。