糟屋重行
糟屋 重行(かすや しげゆき、文永7年(1270年) - 元弘3年5月9日(1333年6月21日))は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけての武将で伯耆守護代、通称は弥次郎、入道号は元覚(元寛)[1]。
生涯
編集元弘3年(1333年)の船上山合戦では中山城に篭り、名和軍と戦った。
元弘3年3月3日、幕府方の佐々木清高の居る小波城を攻略した名和行氏(名和長年の弟)ら名和軍は続いて中山城を攻撃した。当時、城内に重行がいたのかは不明だが戦いに敗れ、城を焼かれた重行ら一族は京都へ敗走した。
敗走した重行は同年5月9日、近江国番場にて佐々木清高らと自害、「蓮華寺過去帳」には13人の糟屋一族、佐々木清高の一族5人と一緒にその名が記されている。享年64。
脚注
編集- ^ 「蓮華寺過去帳」には「糟屋弥次郎入道明翁」とあり、入道号は明翁と改めるべきという説も存在する。
参考文献
編集- 赤碕町誌編纂委員会『赤碕町誌』
- 鳥取県『鳥取県史 第2巻 中世』