粕壁銀行(かすかべぎんこう)は、かつて埼玉県南埼玉郡粕壁町(現在の埼玉県春日部市)に本店をもって営業していた銀行1920年(大正9年)に武州銀行に合併し消滅。

沿革

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開業は1896年(明治29年)1月3日であり、3月24日には埼玉県北葛飾郡幸手町に支店を置いた。業況は順調に推移し1898年(明治31年)2月には資本金を20万円に増資している。時節、支配人が米相場で失敗して行金を8万円ほど費消したことが1900年(明治33年)12月に大蔵省の検査で発覚した。このため1901年(明治34年)1月12日から取り付けにあったようである。粕壁銀行はとりあえず、越ヶ谷の相場師鈴木久五郎の実兄鈴木兵右衛門に15,000円を一時借用して当座をしのぎ、中井銀行か5万円、帝国商業銀行から75,000円を借り入れ危機を切り抜けた。しかしこの醜事の影響が大きく、業況の回復は遅かった。1902年(明治35年)12月末の決算報告では主要勘定などは次の通りとなった。資本金20万円(うち払込12万円)、積立金2000円、預金193,602円、貸付金159,876円、割引手形92,595円、株式配当年2分、株主数156名、役員、従業員18名そのうち8名が役員だった。

1915年大正4年)10月、資本金10万円に減資したが1920年(大正9年)、武州銀行に合併となった。武州銀行にとって銀行合併は初めての合併だった。粕壁銀行の支店は幸手の他、岩槻、大宮、草加に支店を設置した。その支店は武州銀行(埼玉銀行の前身)の各支店として営業したようである。

役員

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『日本全国諸会社役員録 明治29年』
  • 頭取・田村新蔵[1]
  • 取締役兼支配人・練木市左衛門[1]
  • 取締役・清水勝右衛門、清水壽太郎、山田半六[1]
『日本全国諸会社役員録 明治32年』
  • 頭取・田村新蔵[2]
  • 取締役兼支配人・練木市左衛門[2]
  • 取締役・清水壽太郎、山田半六、厚見弥兵衛[2]
  • 監査役・白石清三郎、野口聚、田村市太郎、盛家亀次郎[2]
『日本全国諸会社役員録 明治44年』
『日本全国諸会社役員録 第25回』
  • 取締役・田村新蔵、遠藤幸五郎、奈良栄次郎[4]
  • 監査役・田村義三郎、渡辺勘左衛門[4]
『日本全国諸会社役員録 第27回』
  • 取締役・田村新蔵、遠藤幸五郎、奈良栄治郎、田村章四郎[5]
  • 監査役・田村義三郎、渡辺勘左衛門[5]

脚注

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  1. ^ a b c 『日本全国諸会社役員録 明治29年』埼玉県288頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年7月27日閲覧。
  2. ^ a b c d 『日本全国諸会社役員録 明治32年』埼玉県2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年3月1日閲覧。
  3. ^ a b c 『日本全国諸会社役員録 明治44年』埼玉県 下編8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月4日閲覧。
  4. ^ a b 『日本全国諸会社役員録 第25回』埼玉県 下編8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月5日閲覧。
  5. ^ a b 『日本全国諸会社役員録 第27回』埼玉県 下編4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月9日閲覧。

参考文献

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  • 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治29年』商業興信所、1893 - 1911年。
  • 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治32年』商業興信所、1893 - 1911年。
  • 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治44年』商業興信所、1893 - 1911年。
  • 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第25回』商業興信所、1917年。
  • 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第27回』商業興信所、1919年。

関連項目

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