粉糠山古墳(こぬかやまこふん)は、岐阜県大垣市青墓町にある古墳。形状は前方後方墳。不破古墳群を構成する古墳の1つ。大垣市指定史跡に指定されている。

粉糠山古墳

墳丘全景(左に後方部、右に前方部)
所属 不破古墳群
所在地 岐阜県大垣市青墓町1
位置 北緯35度23分12.27秒 東経136度33分53.29秒 / 北緯35.3867417度 東経136.5648028度 / 35.3867417; 136.5648028座標: 北緯35度23分12.27秒 東経136度33分53.29秒 / 北緯35.3867417度 東経136.5648028度 / 35.3867417; 136.5648028
形状 前方後方墳
規模 墳丘長100m
高さ6m(後方部)
埋葬施設 不明
出土品 乳文鏡片・埴輪
築造時期 4世紀末-5世紀初頭
史跡 大垣市指定史跡「粉糠山古墳」
地図
粉糠山古墳の位置(岐阜県内)
粉糠山古墳
粉糠山古墳
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概要

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不破古墳群の盟主的首長墓系譜[1]
造墓基盤 古墳名 形状 墳丘長
昼飯 花岡山古墳 前方後円墳 60m
垂井北群 親ヶ谷古墳 前方後円墳 85m以上
矢道 矢道長塚古墳 前方後円墳 90m
青墓 粉糠山古墳 前方後方墳 100m
昼飯 昼飯大塚古墳 前方後円墳 150m
青墓 遊塚古墳 前方後円墳 80m

岐阜県西部、大垣市街地から北西方の低位段丘上に築造された大型前方後方墳である[2]。「粉糠山」の古墳名は、青墓宿の遊女が化粧に使用した粉糠を捨てて積もったことに由来するという[3]。現在の墳丘上は共同墓地として利用されているほか、考古学的にはこれまでに1987年昭和62年)に大垣市教育委員会による調査が実施されている[2]

墳形は前方後方形で、前方部を西方に向ける[2]。墳丘は2段築成[2]。墳丘長は100メートルを測り、前方後方墳としては東海地方で最大規模になる[2]。墳丘外表では葺石埴輪が認められているほか、墳丘周囲には周濠が巡らされている[3]。埋葬施設は、削平のため詳らかでない[2]。副葬品としては明治年間出土の乳文鏡片のみが知られる[2]。以上より、築造時期は古墳時代中期の4世紀末-5世紀初頭頃と推定される[3]。付近では岐阜県最大規模の前方後円墳である昼飯大塚古墳(大垣市昼飯町、150メートル)の築造が知られ、粉糠山古墳は昼飯大塚古墳と近接する時期の築造とされるが、両古墳の墳形が異なる点、および両古墳の間には谷が存在して造墓基盤勢力も異なる点が注目される[4]

古墳域は1967年(昭和42年)に大垣市指定史跡に指定されている[5]

構造

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後方部墳頂
  • 墳丘長:100メートル
  • 後方部
    • 一辺:50メートル
    • 高さ:6メートル
  • 前方部
    • 幅:45メートル
    • 高さ:4メートル

文化財

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大垣市指定文化財

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  • 史跡
    • 粉糠山古墳 - 1967年(昭和42年)9月1日指定[5]

脚注

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  1. ^ 中井正幸 『昼飯大塚古墳 -美濃最大の前方後円墳-(日本の遺跡 21)』 同成社、2007年、pp. 133-147。
  2. ^ a b c d e f g 粉糠山古墳(古墳) 1989.
  3. ^ a b c 史跡説明板。
  4. ^ 中井正幸 『昼飯大塚古墳 -美濃最大の前方後円墳-(日本の遺跡 21)』 同成社、2007年、p. 12。
  5. ^ a b 指定文化財一覧表 (PDF) (大垣市ホームページ、2017年2月22日版)。

参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(大垣市教育委員会設置)
  • 中井正幸「粉糠山古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 

関連文献

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(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『粉糠山古墳 -範囲確認調査報告書-(大垣市埋蔵文化財調査報告書 第2集)』大垣市教育委員会文化部、1992年。 

関連項目

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  • 昼飯大塚古墳(大垣市昼飯町) - 粉糠山古墳の東方約600メートルに所在。岐阜県で最大規模の古墳。