米津 政明(よねきつ まさあき)は、江戸時代後期の大名出羽国長瀞藩4代藩主。官位従五位下伊勢守。明治期は正四位に進む。

 
米津政明
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 文政13年7月26日1830年9月12日
死没 明治32年(1899年9月24日
墓所 青山霊園立山墓地
官位 従五位下伊勢守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家茂
出羽長瀞藩
氏族 左衛門尉酒井家米津氏
父母 酒井忠器
米津政易
兄弟 酒井忠発酒井忠中増山正修
市橋長和政易政明酒井忠寛
内藤信親正室、鏈、鏡子、俊光院、猶ら
政敏酒井忠利
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略歴

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文政13年(1830年)、庄内藩8代藩主・酒井忠器の十一男として誕生した。

万延元年(1860年)5月9日、兄で3代藩主の米津政易の隠居により養子として跡を継いだ。文久元年(1861年)12月に叙任する。幕末期の動乱の中では農民による兵隊を組織するなどしたが、藩内で攘夷討幕を求める声が上がり始めた上、これを抑えるだけの力がなかったため、慶応元年(1865年)12月11日、長男の政敏に家督を譲って隠居した。

明治32年(1899年)9月24日、死去。享年70。

系譜

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父母

子女