米山 恒治(よねやま つねはる、1904年明治37年)12月3日[2] - 1966年昭和41年)6月5日[3])は、昭和期の公吏、政治家実業家衆議院議員鹿児島県議会議長。

米山恒治
よねやま つねはる
生年月日 1904年12月3日
出生地 日本の旗 日本 鹿児島県鹿児島郡伊敷村
(現・鹿児島県鹿児島市[1]
没年月日 (1966-06-05) 1966年6月5日(61歳没)
出身校 鹿児島実業学校商業本科卒業
(現・鹿児島実業高等学校
前職 鹿児島市助役
所属政党 自由民主党

選挙区 旧鹿児島1区
当選回数 1回
在任期間 1960年11月20日 - 1963年10月23日

在任期間 1951年5月 - 1952年9月
1956年5月 - 1958年3月

鹿児島県の旗 鹿児島県議会副議長
在任期間 1949年12月 - 1951年5月

鹿児島県の旗 鹿児島県議会議員
当選回数 3回
在任期間 1947年 - 1958年
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経歴

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鹿児島県[3]鹿児島郡伊敷村(現在の鹿児島市[4])で生まれる[1]。13歳で父が死去して学校を中退[4]鹿児島県庁の給仕となり、苦学して1921年(大正10年)鹿児島実業学校(現鹿児島実業高等学校)商業本科を卒業した[3][4]

1940年(昭和15年)鹿児島県属に任官[3][4]。1942年(昭和17年)地方事務官に任官[3][5]。以後、鹿児島県経済部商工課長[5]、同軍需商工課長を歴任[3][4][5]。1944年(昭和19年)9月、岩切重雄鹿児島市長の要請をうけて鹿児島市助役となり1947年(昭和22年)3月まで在任した[3][4]

1947年4月、鹿児島県議会議員に選出され、連続3期在任し、この間、同副議長[6]と同議長を2回務めた[3][4][6]。その他、鹿児島県食糧営団理事長、食糧配給公団鹿児島県支局長、鹿児島県町村合併促進審議会長、全国都道府県議長会地方制度調査会委員長、鹿児島県体育協会長、農林省畑地農業改良促進対策審議会委員、地方制度調査会委員などを務めた[3]

1958年(昭和33年)5月の第28回衆議院議員総選挙鹿児島県第1区から自由民主党公認で立候補して次点で落選[7]。1960年(昭和35年)11月の第29回総選挙に出馬して当選し[4][7]、衆議院議員に1期在任した[3]。自民党県連政調会長、同幹事長、同党県連相談役などを務めた[3]。1963年(昭和38年)11月の第30回総選挙に立候補したが次点で落選した[8]

その他、鹿児島県食糧販売協同組合連合会長、鹿児島米穀社長などに在任した[3][4]

脚注

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  1. ^ a b 伊敷村 1950, p. 100.
  2. ^ 『日本人事録 第6版』全国篇、1042頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』523頁。
  4. ^ a b c d e f g h i 『熱き薩摩の群像700名』182頁。
  5. ^ a b c 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』鹿児島17頁。
  6. ^ a b 歴代正副議長”. 2022年2月18日閲覧。
  7. ^ a b 『国政選挙総覧:1947-2016』387頁。
  8. ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』388頁。

参考文献

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  • 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 伊敷村『伊敷村誌』伊敷村役場、1950年。 
  • 『日本人事録 第6版』全国篇、中央探偵社、1963年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 下竹原弘志編『郷土と日本を築いた 熱き薩摩の群像700名』指宿白水館、1990年。
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。