節丸 雅矛(せつまる まさむ、1965年9月22日 - )は、J-WAVE取締役で、ニッポン放送の元ラジオディレクター、元プロデューサー、元社員、元ジャズ音楽家作曲家。妻は元フジテレビ社員の山本麻祐子従兄弟フリーアナウンサー節丸裕一

せつまる まさむ

節丸 雅矛
生誕 (1965-09-22) 1965年9月22日(59歳)
国籍 日本の旗 日本
出身校 慶應義塾大学
職業
活動期間 1989年 - 現在
肩書き
配偶者 山本麻祐子
親戚 節丸裕一従兄弟
公式サイト 節丸雅矛 (@ssetzy) - X(旧Twitter)
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来歴

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桐朋高等学校慶應義塾大学卒業。慶大在学時は、ビッグバンドジャズクラブである慶應ライトに在籍し[1]、在学中から芸能プロダクションに所属し、芸能活動を行っていた[2]。しかし、就活の時期になっても希望進路は特に無く、卒業後は漠然とプロの音楽家になると考えており、当時から付き合いのあった三宅裕司からアミューズへの就職も薦められたが[2]、試しに受けてみたニッポン放送から内定を得て、同大卒業後、1989年4月に入社。同期は、現:CP局アナウンス室室長の増山さやか、元ディレクター、エンターテインメント開発部副部長、不動産投資家の菅沼尚宏(アユカワタカヲ)、元ディレクター、現・ホリプロ代表取締役会長兼社長の堀義貴

入社後、同年7月7日付で、編成局制作部所属となりアシスタントディレクターとして『とんねるずのオールナイトニッポン[3]、『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』担当となり、番組演出の無茶振りとして、公園でカップルの目の前でムードな曲のサックスを吹かされていた[1]。バンドでは1st Alto Saxを担当。同年秋から、『寺内たけしのオールナイトニッポン』を担当。

以後、夜の番組のディレクターもやりながら、昼帯の番組のチーフプロデューサーも兼務して行き、特に『オールナイトニッポン』のディレクターとして、電気グルーヴ松任谷由実の番組AD、U-turnの番組のディレクターを経た。1998年に『ゆずのオールナイトニッポン』のディレクターに。ゆずの番組中、いつも怒っていたので、ついたあだ名は「鬼丸」。『ココリコの@llnightnippon.com』では、「リサーチテーマが自己中心的」と批判された。普段も聴取率調査週間にも、企画ものに強く、企画物しかやらない。代打でディレクターをやってaikoに怒られたこともある。

横浜アリーナで行われた、ニッポン放送の深夜放送パーソナリティ総出演のイベント『LF+Rそんなのありーな!?(2000年8月)』『二度目もありーな!?(2001年8月)』『そんなのありーな!?エピソード(2002年8月)』のイベントプロデューサー。

その後、子会社であるエル・ファクトリーに出向し、制作本部長兼第一制作部長、復帰し、編成局制作部副部長兼同部プロデューサーを歴任し、2015年7月1日付人事にて、編成局編成部長に昇進[2]。2018年7月1日付人事にて、ビジネス開発センター長に昇進[4]

2024年6月27日、J-WAVE取締役に就任[5]

2003年1月、当時:同社の元アナウンサーであった、現:フジテレビ編成局広報センター、元アナウンサーの山本麻祐子と結婚。

担当番組

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ほか多数

脚注

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出典

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外部リンク

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