箕輪城 (信濃国)
箕輪城(みのわじょう)は、長野県上伊那郡箕輪町にあった日本の城。町指定史跡[1][2]。
箕輪城 (長野県) | |
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別名 | 箕輪城 |
城郭構造 | 平山城 |
主な改修者 | 箕輪氏 |
主な城主 | 箕輪氏、木下総蔵、藤沢重時 |
廃城年 | 1582年(天正10年) |
遺構 | 曲輪、空堀 |
指定文化財 | 町指定史跡 |
位置 | 北緯35度54分02.0秒 東経137度58分54.5秒 / 北緯35.900556度 東経137.981806度座標: 北緯35度54分02.0秒 東経137度58分54.5秒 / 北緯35.900556度 東経137.981806度 |
地図 |
概要
編集室町時代に箕輪氏の居城として築かれた。天文年間(1532年-1555年)には福与城の支城としての役割を果たしていた。なお史料上に登場する「箕輪城」は福与城のことであろうとする意見もある[3]。
木下総蔵、福与城主藤沢頼親の養子・左衛門尉重時が城主であった。武田信玄の伊奈攻略により藤沢頼親は、伊奈の地を追われたが、天正10年(1582年)武田氏滅亡後、福与城に拠り旧領を回復しようとしたが、保科正直に攻められ滅亡したため、箕輪城も廃城になったと言われている。現在は、養泰寺の墓地に空堀などが残る。