筒井順定
筒井 順定(つつい じゅんてい)は、江戸時代初期の伊賀国上野藩の世嗣。
時代 | 江戸時代初期 |
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生誕 | 慶長6年1月5日(1601年2月7日) |
死没 | 慶長20年3月5日(1615年4月2日) |
改名 | 藤太郎(幼名)→順定 |
藩 | 伊賀上野藩世嗣 |
氏族 | 筒井氏 |
父母 |
父∶筒井定次 母∶織田秀子 |
兄弟 |
順定、春次、鞍田九左衛門室、 筒井六左衛門室、新庄直氏室、 多田正吉室、加納豊前室 |
略歴
編集筒井定次の嫡男として誕生。生母は定次の正室である織田信長の三女・秀子であるため、信長の外孫に当たる。幼名は藤太郎。
慶長13年(1608年)に父が改易されると、父と共に陸奥国磐城平藩主・鳥居忠政の許に預けられた。慶長20年(1615年)3月5日、大坂冬の陣において豊臣氏と内通したという罪により、父と共に自害させられた。