等覺寺 (岐阜県八百津町)

等覺寺(とうかくじ)は、岐阜県八百津町和知にある真宗大谷派の寺院。山号は寶樹山。

等覺寺
所在地 岐阜県加茂郡八百津町和知2067
位置 北緯35度28分28秒 東経137度6分20.7秒 / 北緯35.47444度 東経137.105750度 / 35.47444; 137.105750座標: 北緯35度28分28秒 東経137度6分20.7秒 / 北緯35.47444度 東経137.105750度 / 35.47444; 137.105750
山号 寶樹山
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 慶長11年(1606年)
開基 了賢
法人番号 2200005006689
テンプレートを表示

歴史

編集

慶長11年(1606年)8月、当時、和知城主であった稲葉方通(右近)の母「妙玄院」の菩提所として、東本願寺教如の弟子の了賢の開基により創建された。

等覺寺の由緒書によれば、金山城主の斎藤正義が、久々利頼興(土岐悪五郎)によって久々利城で謀殺されたため、その時、妊娠中であった妻は和知村へ逃れて隠れ、男子を出産し、自らは尼となって夫の冥福を祈った。

妻は子が成長すると祖父の近衛稙家[1]の遺志により僧侶にした。

子はやがて本願寺の教如に仕えた。教如は子に了賢という名を与えた。

この頃、稲葉良通(一鉄)は家督を嫡男の方通に譲って野上村に居を構えていた。

稲葉良通(一鉄)は、かつて斎藤道三に仕えていた縁故から、寺を建立して了賢に与えようと野上村の萩原野に寺の建立を検討したが、了賢は、その地が不便であるとみて、現在地に建立を希望し許されて工事を始め、慶長11年(1606年)8月に完工し、了賢に縁のある者を門徒とした。

文政8年(1826年)、九世の諦山が本堂を再建して現在に至っている。

境内には「稲葉家霊室」がある。

参考文献

編集
  • 『八百津町 通史編』 第九章 近世の宗教と文化 第二節 宗教・寺院 等覚寺 p214 八百津町史編纂委員会 1976年
  • 『美濃国加茂郡誌』 第七章 宗教 第二節 寺院 【和知等覺寺】 p784 岐阜県加茂郡役所 大正10年

脚注

編集
  1. ^ 斎藤正義の父