第9軍 (ロシア内戦)
第9軍(だい9ぐん、ロシア語: 9-я армия)は、ロシア内戦中の1918年から1921年にかけて赤軍に形成されていた編制。
第9軍 9-я армия | |
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活動期間 | 1918年10月3日 - 1921年6月15日 |
国籍 | ロシア社会主義連邦ソビエト共和国 |
軍種 | 赤軍 |
上級部隊 |
南部戦線 南東戦線 カフカース戦線 北カフカース軍管区 |
主な戦歴 | ロシア内戦 |
著名な司令官 |
アレクサンドル・エゴロフ イエロニム・ウボレヴィチ |
沿革
編集1918年9月11日付共和国革命軍事会議指令に基づく同年10月3日の南部戦線革命軍事会議指令により、南部戦線指揮下にあるポヴォリノ、バラショフ、カムィシンの軍から編制された。1920年5月4日に「第9クバーニ軍」(9-я Кубанская армия) と改称され、所属は当初の南部戦線から1919年10月1日には南東戦線へ、1920年5月4日からはカフカース戦線 (ru) へ、1921年5月29日からは北カフカース軍管区へ移され、翌6月15日に解体された[1][2]。
1918年10月から12月まではポヴォリノ、エラニ、バラショフでピョートル・クラスノフ麾下のドン軍と戦い、翌1919年1月から3月までは南部戦線の攻勢に参加し、ボリソグレプスクとノヴォホピョールスクを占領。3月からはヴョシェンスカヤ蜂起の鎮圧に当たり、ドンバスで南ロシア軍を抑えた。7月23日から9月30日まではV・I・ショーリン特別グループに組み込まれ、8月には南部戦線の反攻に参加。ホピョール川でドン軍に対する防衛戦を戦った。11月から12月までは南東戦線の攻勢に参加し、ドン川とドネツ川を渡河してミッレロヴォとリハヤを占領した[1][2]。
翌1920年1月にはロストフ・ノヴォチェルカッスク作戦 (ru) に、1月から4月まではドン・マヌィチ作戦、チホレツク作戦、エゴルルィクスカヤの戦い、クバーニ・ノヴォロシースク作戦 (ru) など北カフカース作戦 (ru) における諸戦闘に参加。トゥアプセとソチでもアントーン・デニーキン軍の掃討に当たった。8月から9月にはクバーニとタマン半島でウラガイ上陸戦に対抗し、カフカース北西でもミハイル・フォスチコフ (ru) による「ロシア回復軍」や他の白軍組織の形成に対抗した。翌1921年2月から3月には黒海沿岸でグルジア民主共和国軍とも戦っている[1][2]。
構成
編集司令官[1]
- アレクサンドル・エゴロフ(1918年9月28日 - 11月24日)
- パーヴェル・クニャグニツキー(1918年11月25日 - 1919年6月6日)
- ニコライ・フセヴォロドフ(1919年6月6日 - 16日、その後白軍へ寝返る)
- アレクサンドル・ステピニ(ru, 1919年6月16日 - 1920年2月9日)
- 小A・A・ドゥシュケヴィチ(1920年2月9日 - 3月1日、臨時)
- イエロニム・ウボレヴィチ(1920年3月1日 - 4月5日)
- マトヴェイ・ヴァシレンコ(1920年4月5日 - 7月19日)
- ミハイル・レヴァンドフスキー(1920年7月19日 - 10月5日、11月21日 - 1921年1月26日、4月22日 - 6月13日)
- V・N・チェルヌィシェフ(1920年10月5日 - 11月21日、1921年1月26日 - 4月22日、臨時)
- I・F・シャルスコフ(1921年6月13日 - 22日)
革命軍事会議メンバー[1]
- ピョートル・ダシュケヴィチ(ru, 1918年10月10日 - 1919年5月7日)
- パーヴェル・クニャグニツキー(1918年11月2日 - 25日)
- ウラジーミル・バルィシュニコフ(ru, 1918年11月11日 - 1919年6月9日)
- グリゴリー・ソコリニコフ(1918年12月2日 - 1919年2月7日)
- ヨシフ・ホドロフスキー(1919年3月23日 - 8月27日)
- B・D・ミハイロフ(1919年5月23日 - 8月14日)
- S・A・バランディン(1919年6月22日 - 7月27日)
- ヤン・ポルヤン(1919年7月 - 10月、1920年7月25日 - 8月27日)[3]
- A・M・プィジェフ(1919年7月4日 - 9月22日)
- ニコライ・アニシモフ(ru, 1919年7月12日 - 1920年1月24日)
- D・G・ペルチヒン(1919年8月8日 - 10月6日)
- ヴァシリー・クラエフ(ru, 1919年8月21日 - 11月9日)
- アレクサンドル・ベロボロドフ(1919年10月11日 - 1920年7月2日)
- A・M・リデ(1920年3月10日 - 7月8日)
- セルゲイ・アヌチン(ru, 1920年7月2日 - 8月24日)
- A・M・ジヤコノフ(1920年8月20日 - 31日)
- R・A・ペテルソン(1920年8月25日 - 9月20日)
- ヨシフ・コシオール(ru, 1920年8月27日 - 10月3日)
- M・S・エプシュテイン(1920年10月3日 - 1921年5月9日)
- M・A・アレクシンスキー(1921年5月9日 - 6月22日)
- P・M・モレネツ(1921年6月16日 - 22日)
参謀長[1]
- パーヴェル・クニャグニツキー(1918年9月28日 - 10月28日)
- ニコライ・フセヴォロドフ(1918年10月29日 - 1919年4月20日)
- イリヤ・ガリカヴィー(1919年4月20日 - 5月8日、臨時)
- カレポフ(1919年5月1日 - 29日)
- E・I・ザハロヴィチ(1919年5月30日 - 6月16日、1920年5月29日 - 6月13日、臨時)
- I・プレオブラジェンスキー(1919年6月16日 - 7月25日)
- G・D・スホドリスキー(1919年7月25日 - 8月10日、臨時)
- A・A・ドゥシュケヴィチ(1919年8月10日 - 1920年5月23日)
- ミハイル・メドヴェージェフ(ru, 1920年6月13日 - 7月21日)
- I・G・クレフ(1920年7月21日 - 8月12日)
部隊[1]
- 参謀部
- 第2ドン狙撃師団(1920年8月 - 9月)
- 第9狙撃師団(1920年4月 - 9月、1921年1月 - 2月)
- 第12狙撃師団(1920年2月 - 3月)
- 第14狙撃師団(ru, 1918年10月 - 1920年4月、1920年9月 - 1921年1月)
- 第16狙撃師団(1918年10月 - 1919年5月)
- 第18狙撃師団(1920年11月 - 12月)
- 第21狙撃師団(1920年1月 - 3月)
- 第22狙撃師団(1919年9月 - 1921年6月)
- 第23狙撃師団(1918年10月 - 1920年6月)
- 第24狙撃師団(1920年1月 - 3月)
- 第33狙撃師団(1920年3月 - 4月、5月)
- 第34狙撃師団(1920年4月 - 1921年5月)
- 第36狙撃師団(1919年4月 - 6月、1919年7月 - 1920年2月)
- 第40狙撃師団(1919年10月)
- 第50狙撃師団(1920年4月)
- 第52狙撃師団(1920年2月 - 3月)
- 第56狙撃師団(1919年7月 - 10月)
- 略狙撃師団(1919年1月 - 2月)
- ウラル狙撃師団(1918年12月 - 1919年2月)
- 騎兵略軍団(1918年11月 - 1920年4月)
- 第1カフカース騎兵師団(ru, 1920年5月 - 9月)
- 第2騎兵師団(1919年11月 - 1920年2月)
- 第5騎兵師団(1920年9月 - 10月)
- 第7騎兵師団(1920年9月)
- 第12騎兵師団(ru, 1920年8月 - 11月)
- 第16騎兵師団(ru, 1920年4月 - 6月、1921年1月 - 2月)
- 第21騎兵師団(ru, 1921年2月 - 3月)
- 第15航空列車
- エキーモフ記念騎兵師団(ru, 1920年4月 - 5月)[4]
脚注
編集- ^ a b c d e f g М. : Гражданская война и военная интервенция в СССР: Энциклопедия. — (Советская энциклопедия / гл. ред. С. С. Хромов ; 1983).
- ^ a b c Центральный государственный архив Советской армии. Vol. 1 в 2 томах. Minneapolis, Minnesota: East View Publications. Л. В. Двойных, Т. Ф Каряева, М. В. Стеганцев. 1991. ISBN 1-879944-02-2。
- ^ “Полуян Ян Васильевич”. Справочник по истории Коммунистической партии и Советского Союза 1898 - 1991. knowbysight.info. 2019年11月18日閲覧。
- ^ “Управление кавалерийской дивизии Г. М. Екимова”. Библиотека исторической информации. 20018-06-27閲覧。