第5飛行隊 (航空自衛隊)
第5飛行隊(だい5ひこうたい、JASDF 5th Tactical Fighter Squadron)は、かつて航空自衛隊中部航空方面隊第4航空団隷下にあった戦闘機部隊。F-86F戦闘訓練飛行隊として1957年(昭和32年)に浜松基地で新編され、1958年(昭和33年)に松島基地へ移動し、1971年(昭和46年)に閉隊した。
第5飛行隊 | |
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創設 | 1957年2月1日 |
廃止 | 1971年6月30日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 航空自衛隊 |
所在地 | 宮城県松島基地 |
編成地 | 静岡県浜松基地 |
通称号/略称 | 5SQ |
上級単位 | 第4航空団 |
最終上級単位 | 中部航空方面隊 |
概要
編集第5飛行隊はF-86F戦闘機を運用する戦闘訓練飛行隊として、1957年(昭和32年)2月1日に、静岡県浜松基地第1航空団隷下として新編された。1958年(昭和33年)2月16日に宮城県松島基地で第4航空団が発足したのに伴って松島基地へ移動し、同年11月1日に第4航空団隷下に編入された。1959年(昭和34年)1月から戦闘機操縦課程教育を開始したが、1960年(昭和35年)7月1日に第4航空団が飛行教育集団から航空総隊中部航空方面隊隷下になったことから第5飛行隊も戦闘訓練飛行隊から戦闘爆撃飛行隊へ改編され、1962年(昭和37年)3月1日から対領空侵犯措置任務を開始した[1]。
1971年(昭和46年)6月30日に第5飛行隊は閉隊し、機材は松島基地に編成された第1航空団松島派遣隊に引き渡された[1][2]。
沿革
編集- 1957年(昭和32年)2月1日 - F-86F飛行隊として浜松基地の第1航空団隷下にて部隊編成[1]。
- 1958年(昭和33年)11月1日 - 松島基地へ移動し、第4航空団隷下に編入[1]。
- 1959年(昭和34年)1月10日 - 松島基地での戦闘機操縦課程教育開始[1][2]。
- 1960年(昭和35年)10月11日~10月14日 - 航空総隊競点射撃競技会F-86F部門優勝[3][4]。
- 1962年(昭和37年)3月1日 - 松島基地での対領空侵犯措置任務開始[1]。
- 1965年(昭和40年)5月25日~5月27日 - 航空総隊競点射撃競技会優勝[3][4]。
- 1967年(昭和42年)9月1日~9月8日 - 航空総隊射撃競技会FI(要撃機)部門優勝[4]。
- 1968年(昭和43年)7月29日~8月17日 - 航空総隊射撃競技会FI部門優勝[4]。
- 1971年(昭和46年)6月30日 - 第5飛行隊閉隊[1]。
歴代運用機
編集脚注
編集- ^ a b c d e f g h イカロス出版 JWing No.121 2008年9月号 52頁 「集まれ!日本の戦闘機部隊 航空自衛隊、過去の戦闘機部隊」
- ^ a b イカロス出版 Jwing No.31 2001年3月号 32頁 「僕らの航空自衛隊の50年。これがすべての戦闘機部隊、すべての戦闘機だ!」櫻井定和
- ^ a b イカロス出版 JWing No.184 2013年12月号 21頁 「戦競2013 戦競、偉大なるその軌跡」松崎豊一
- ^ a b c d 大日本絵画 月刊モデルグラフィックス2月号別冊 戦競1988 航空自衛隊昭和63年度航空総隊戦技競技会 68頁-70頁 「戦競史 航空総隊戦技競技会28年の歩み」