第22飛行隊(だい22ひこうたい、JASDF 22nd Fighter Training Squadron)は、かつて航空自衛隊飛行教育集団第4航空団隷下にあった飛行訓練部隊。1978年(昭和53年)に松島基地で新編され、2001年(平成13年)に閉隊されるまでT-2による戦闘機操縦課程の教育を行っていた。

第22飛行隊
第22飛行隊のT-2前期型
創設 1978年4月5日
廃止 2001年3月27日
所属政体 日本の旗 日本
所属組織 航空自衛隊
所在地 宮城県松島基地
編成地 宮城県松島基地
通称号/略称 22SQ
上級単位 第4航空団
最終上級単位 飛行教育集団
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概要

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第22飛行隊は、航空自衛隊2番目のT-2訓練飛行隊として1978年(昭和53年)4月5日に松島基地の第4航空団隷下で新編された[1]

第22飛行隊での教育課程は当初、基本操縦課程終了後に行われる60時間の戦闘操縦(CT)課程を担当していたが、1986年(昭和61年)9月30日から戦闘操縦基礎(CBT)課程と戦闘操縦(CT)課程を統合した100時間の戦闘操縦(FT)課程を開始し、翌1987年(昭和62年)4月17日からはF-15課程に進む学生への40時間のF-15準備(FTA)課程を開始した[2][3]

1996年(平成08年)からT-2の用途廃止機が出始め、航空自衛隊の飛行教育課程の再編により第22飛行隊は2001年(平成13年)3月27日に閉隊し、23年の歴史に幕を下ろした。閉隊時点で総フライト数約145,000時間、無事故飛行60,093.8時間を達成し、養成した学生は746名に上った[2]

第22飛行隊の部隊マークは当初、第4航空団によって制定された緑と黄色の松葉マークだったが、1986年(昭和61年)に「4」の字をデザインしたマークに変更された。このマークは、同じ松島基地に所在する第21飛行隊と識別するため、白縁に赤色で描かれていた[1][注釈 1]

沿革

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8月24日 - 無事故飛行10,000時間達成[2]
10月18日 - F-15準備(FTA)課程教育試行[2]
11月21日 - 無事故飛行40,000時間達成[2]
5月28日 - 戦闘操縦(CT)課程教育終了[2]
1990年(平成02年)1月26日 - T-4受領[2]
4月1日 FTA課程教育終了[2]
5月31日 - T-2飛行時間100,000時間達成[2]
10月5日 - 無事故飛行50,000時間達成[2]
  • 2001年(平成13年)3月16日 - T-2ラストフライト。無事故飛行60,093.8時間達成[2]
3月27日 - 第22飛行隊閉隊[2]

歴代運用機

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脚注・出典

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  1. ^ 第21飛行隊は同じ部隊マークで白縁に青色[3]
  1. ^ a b イカロス出版 自衛隊の名機シリーズ4 航空自衛隊T-2/F-1 22頁-23頁 「歴代F-1/T-2飛行隊 第22飛行隊」松崎豊一
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v イカロス出版 Jwing No.34 2001年6月号 10頁-11頁 「第22飛行隊 解隊記念行事」宮北正芳
  3. ^ a b イカロス出版 自衛隊の名機シリーズ4 航空自衛隊T-2/F-1 20頁-21頁 「歴代F-1/T-2飛行隊 第21飛行隊」松崎豊一
  4. ^ イカロス出版 自衛隊の名機シリーズ4 航空自衛隊T-2/F-1 80頁 「航空自衛隊F-1/T-2 戦競塗装機、記念塗装機スーパーカタログ」石原肇

関連項目

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  • 第21飛行隊 - 航空自衛隊1番目のT-2訓練飛行隊。後にF-2Bへ機種更新した。

外部リンク

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