第17普通科連隊
第17普通科連隊(だいじゅうななふつうかれんたい、JGSDF 17th Infantry Regiment(Light))は、山口県山口市の山口駐屯地に駐屯する、陸上自衛隊第13旅団隷下の普通科連隊(軽)である。
第17普通科連隊 | |
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観閲行進を行う中隊長 | |
創設 | 1954年(昭和29年)9月10日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 普通科 |
所在地 | 山口県 山口市 |
編成地 | 小月 |
上級単位 | 第13旅団 |
担当地域 | 山口県 |
概要
編集連隊長は1等陸佐(三)が充てられ、連隊本部、本部管理中隊および3個普通科中隊により編成される。
1999年(平成11年)3月に第13師団の第13旅団への改編により軽普通科連隊化された。
訓練は主にむつみ演習場や日本原演習場および日出生台演習場で実施する。山口県隊区の指定部隊の長とともに、山口県全域を警備隊区とする。
沿革
編集- 1954年(昭和29年)9月10日:第4管区隊隷下部隊として第17普通科連隊本部及び第1大隊が山口県小月駐屯地において、第2大隊が曾根駐屯地において編成。
- 1955年(昭和30年)10月21日:山口駐屯地開設により、連隊本部及び第1大隊が小月駐屯地から移駐。
- 1962年(昭和37年)
- 第1大隊を基幹として本部管理中隊、4個普通科中隊及び重迫撃砲中隊の6個中隊編成となる。
- 第2大隊を母体に第41普通科連隊が別府駐屯地で新編。
- 1991年(平成 3年)3月29日:師団近代化への改編により、自動車化。
- 1999年(平成11年)
- 3月28日:第4普通科中隊、重迫撃砲中隊が廃止。
- 3月29日:第13師団の第13旅団への改編に伴い、普通科連隊(軽)(本部管理中隊及び3個普通科中隊の4個中隊編成)に改編。
- 2004年(平成16年)3月29日:後方支援体制変換に伴い、整備部門を第13後方支援隊第2整備中隊第2普通科直接支援小隊へ移管。
- 2008年(平成20年)3月26日:第13旅団の即応近代化旅団への改編に伴い、第17普通科連隊改編。
部隊編成
編集- 第17普通科連隊本部
- 本部管理中隊「17普-本」:軽装甲機動車、偵察用オートバイ、120mm迫撃砲 RT
- 第1普通科中隊「17普-1」:高機動車、81mm迫撃砲 L16、01式軽対戦車誘導弾
- 第2普通科中隊「17普-2」:高機動車、81mm迫撃砲 L16、01式軽対戦車誘導弾
- 第3普通科中隊「17普-3」:軽装甲機動車、81mm迫撃砲 L16、01式軽対戦車誘導弾
整備支援部隊
編集- 第13後方支援隊第2整備中隊第2普通科直接支援小隊「13後支-2整」(山口駐屯地):2004年(平成16年)3月29日から
主要幹部
編集官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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第17普通科連隊長 兼 山口駐屯地司令 |
1等陸佐 | 永木裕治 | 2023年12月22日 | 陸上幕僚監部監理部総務課渉外班長 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 藤井一美 | 1954年 | 9月10日 - 1955年11月15日第4管区総監部第4部長 | 第4管区総監部付 |
2 | 一水伝 | 1955年11月16日 - 1958年 | 7月31日自衛隊鹿児島地方連絡部長 | 自衛隊大分地方連絡部長 |
3 | 衛藤武 | 1958年 | 8月 1日 - 1959年 7月31日陸上幕僚監部付 | 中部方面総監部準備本部幕僚副長 |
4 | 桜井文雄 | 1959年 | 8月 1日 - 1961年 7月31日第15普通科連隊副連隊長 | 自衛隊栃木地方連絡部長 |
5 | 篠田健一 | 1961年 | 8月 1日 - 1963年11月15日自衛隊香川地方連絡部長 | 朝霞駐とん地業務隊長 |
6 | 安元至誠 | 1964年 | 3月16日 - 1966年 7月15日西部方面総監部業務室長 | 第8師団司令部幕僚長 |
7 | 田中象二 | 1966年 | 7月16日 - 1968年 7月15日陸上幕僚監部第3部編成班長 | 陸上幕僚監部第3部副部長 |
8 | 藤本健市 | 1968年 | 7月16日 - 1970年 7月15日第7師団司令部第1部長 | 西部方面総監部第2部長 |
9 | 平井登 | 1970年 | 7月16日 - 1972年 7月16日第13師団司令部第3部長 | 陸上自衛隊富士学校研究部第2課長 |
10 | 定行英彦 | 1972年 | 7月17日 - 1974年 7月15日防衛大学校勤務 | 陸上幕僚監部総務課総括班長 |
11 | 井上治 | 1974年 | 7月16日 - 1977年 3月15日陸上自衛隊幹部候補生学校勤務 | 陸上自衛隊幹部候補生学校勤務 |
12 | 青砥聖 | 1977年 | 3月16日 - 1978年11月30日陸上幕僚監部第3部防衛班長 | 東北方面総監部幕僚副長 |
13 | 寺島泰三 | 1978年12月 | 1日 - 1980年 3月16日陸上自衛隊富士学校普通科部 教育課長 |
陸上幕僚監部装備部管理・輸送課長 |
14 | 國枝金正 | 1980年 | 3月17日 - 1982年 3月15日陸上幕僚監部調査部調査第1課 企画班長 |
陸上自衛隊幹部学校研究員 |
15 | 里中哲朗 | 1982年 | 3月16日 - 1984年 3月28日陸上幕僚監部防衛部防衛課 編成班長 |
陸上自衛隊幹部学校研究員 |
16 | 渡邊一順 | 1984年 | 3月29日 - 1986年 3月16日陸上幕僚監部人事部厚生課 厚生班長 |
中部方面総監部人事部勤務 |
17 | 大北太一郎 | 1986年 | 3月17日 - 1988年 7月 6日第10師団司令部第3部長 | 陸上幕僚監部装備部装備計画課長 |
18 | 三浦統男 | 1988年 | 7月 7日 - 1991年 3月15日第9師団司令部第4部長 | 陸上自衛隊富士学校総合研究開発部 主任研究開発官 |
19 | 加賀本昭雄 | 1991年 | 3月16日 - 1993年11月30日対馬警備隊長 兼 対馬駐屯地司令 |
陸上自衛隊幹部候補生学校教育部長 |
20 | 寺崎寛 | 1993年12月 | 1日 - 1996年11月30日陸上幕僚監部装備部装備計画課 補給管理班長 |
東部方面総監部装備部長 |
21 | 廣瀬清一 | 1996年12月 | 1日 - 1998年 6月30日陸上自衛隊幹部学校研究員 | 第9師団副師団長 兼 青森駐屯地司令 |
22 | 田原昭彦 | 1998年 | 7月 1日 - 2001年 1月10日陸上幕僚監部付 | 陸上幕僚監部防衛部運用課 予備自衛官運用室長 |
23 | 有吉登聖 | 2001年 | 1月11日 - 2002年 7月31日陸上自衛隊幹部学校研究員 | 陸上幕僚監部防衛部防衛課 防衛調整官 |
24 | 下保英幸 | 2002年 | 8月 1日 - 2004年 7月31日陸上自衛隊冬季戦技教育隊長 | 陸上自衛隊北海道補給処装備計画部 企画課長 |
25 | 末廣治之 | 2004年 | 8月 1日 - 2007年 7月31日北部方面総監部人事部厚生課長 | 第8師団司令部監察官 |
26 | 池田和典 | 2007年 | 8月 1日 - 2009年 3月23日陸上自衛隊研究本部研究員 | 統合幕僚監部防衛計画部計画課 業務計画班長 |
27 | 森下喜久雄 | 2009年 | 3月24日 - 2011年 7月31日陸上幕僚監部装備部開発課 開発第3班長 |
陸上自衛隊幹部学校学校教官 |
28 | 島瀬達也 | 2011年 | 8月 1日 - 2013年 6月30日中部方面総監部人事部募集課長 | 陸上自衛隊会計監査隊 中部方面分遣隊長 |
29 | 山口真司 | 2013年 | 7月 1日 - 2016年 3月13日北部方面総監部総務部広報室長 | 第13旅団司令部付 |
30 | 岩上隆安 | 2016年 | 3月14日 - 2017年 7月31日陸上自衛隊幹部学校付 | 中央即応集団司令部付 |
31 | 川内康孝 | 2017年 | 8月 1日 - 2019年12月19日陸上自衛隊幹部候補生学校主任教官 | 中部方面総監部総務部総務課長 |
32 | 杵淵賢一 | 2019年12月20日 - 2021年11月30日 | 統合幕僚監部総務部人事教育課 人材育成班長 |
第3陸曹教育隊長 |
33 | 山室知由 | 2021年12月 | 1日 - 2023年12月21日陸上自衛隊関西補給処桂支処総務部長 | 中部方面総監部防衛部防衛課 陸上連絡官 |
34 | 永木裕治 | 2023年12月22日 - | 陸上幕僚監部監理部総務課渉外班長 |
主要装備
編集- 軽装甲機動車
- 高機動車
- 1/2tトラック / 73式小型トラック
- 1 1/2tトラック / 73式中型トラック
- 3 1/2tトラック / 73式大型トラック
- 89式5.56mm小銃
- 5.56mm機関銃MINIMI
- 84mm無反動砲
- 81mm迫撃砲 L16
- 120mm迫撃砲 RT
- 01式軽対戦車誘導弾
警備隊区
編集災害派遣
編集2011年3月11日に起きた東日本大震災の際、福島県に派遣され5月3日からは福島第一原子力発電所事故で警戒区域となっている浪江町でも活動、最後の80人は6月15日に山口市に帰隊した。連隊が発見した遺体は約10[1]。
2016年4月16日より断続的に発生した熊本県熊本地方を震央とする「平成28年熊本地震」で南阿蘇村にて捜索活動を行っている。
脚注
編集- ^ “つなごう希望:東日本大震災 最後の派遣80人帰隊--陸自山口駐屯地”. 毎日新聞 (2011年6月15日). 2011年6月15日閲覧。
出典
編集“防衛省人事発令”. 2016年3月14日閲覧。