第16SS装甲擲弾兵師団
第16SS装甲擲弾兵師団 ライヒスフューラー・SS(独: 16. SS-Panzergrenadier-Division „Reichsführer SS“)は、武装親衛隊の師団である。部隊称号のライヒスフューラー・SSは親衛隊全国指導者を指す。
第16SS装甲擲弾兵師団 | |
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第16SS装甲擲弾兵師団 ライヒスフューラー・SSの師団章 | |
創設 | 1943年 |
廃止 | 1945年 |
所属政体 | ナチス・ドイツ |
所属組織 | 武装親衛隊 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 擲弾兵 |
戦歴 | 第二次世界大戦 |
沿革
編集1943年11月、師団幹部には民族ドイツ人を採用し、ノルウェー義勇兵を中心として突撃旅団ライヒスフューラー・SSは編成された。師団から編成された戦闘団がアンツィオで連合軍と戦う間、師団の残存部隊はハンガリーの占領に参加していた。
1945年2月、師団全部隊がハンガリーに集まるまで、戦闘団はイタリアで1944年5月以降、戦い続けた。1944年の晩夏、アペニン山脈のゴシック線へ退却する間、師団の一部部隊がサンタンナ・ディ・スタッツェーマ(Sant'Anna di Stazzema)とマルツァボットで市民の虐殺を行っている。
訓練中の第16予備大隊は戦闘団を編成してアルンヘムで再編成を行い、マーケットガーデン作戦に参加した。
師団長
編集着任 | 離任 | 階級(当時) | 氏名 |
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1943年10月3日 | 1944年10月24日 | 親衛隊中将 | マックス・ジモン (de:Max Simon (SS-Gruppenführer)) |
1944年10月24日 | 1945年5月8日 | 親衛隊上級大佐 | オットー・バウム (de:Otto Baum (SS-Mitglied)) [2] |
脚注
編集- ^ Marcus Wendel. “Waffen SS units (16th SS Panzergrenadier Division Reichsführer-SS)”. Axis History Factbook. 2007年7月4日閲覧。
- ^ “axishistory”. 2009年7月20日閲覧。