第14回ジャパンボウル
第14回ジャパンボウルは1989年1月16日、横浜スタジアムで行われたカレッジフットボールのオールスター東西対抗戦。全米の大学から選ばれた66人が選抜された[1]。東軍が30-7で3年ぶり4回目の勝利をあげた[2]。
| |||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||
開催日 | 1989年1月16日 | ||||||||||||||||||
スタジアム | 横浜スタジアム | ||||||||||||||||||
開催地 | 横浜市 | ||||||||||||||||||
入場者数 | 30,000 |
試合経過
編集東軍は、シラキュース大学のRBロバート・ドラモンドがスクリメージライン付近で何人ものタックルをかわし、41ヤードのTDランで7-0と先制した[3]。西軍は最初のドライブでオールアメリカンに選ばれたオクラホマ大学のQBトロイ・エイクマンからカリフォルニア大学のダリル・イングラムへの21ヤードのパスなどで前進、UCLAのエリック・ボールの3ヤードのTDで7-7と追いついた。さらにミシガン州立大学のQBボビー・マカリスターのパスをUCLAのマーカス・ターナーがインターセプトしてボールを奪った。しかし次のプレーでエイクマンのパスをオーバーン大学のシャン・モリス(Shan Morris)がインターセプト、さらに西軍39ヤード地点まで49ヤードリターンした[3]。東軍は、6プレー後にインディアナ大学のピート・ストヤノビッチが40ヤードのFGを狙ったが、スナップミスがあり、ストヤノビッチが試みたパスは、UCLAのダグ・クライン(Doug Klein)にインターセプトされた。西軍はアラバマ大学のLBデリック・トーマスが第3ダウンでアイオワ大学のQBチャック・ハートリーブをサックして、ファーストダウン更新を許さなかった。東軍は6プレーで66ヤードを前進、最後はデューク大学のQBアンソニー・ディルウェグからウェストバージニア大学のA・B・ブラウンへの10ヤードのTDパスで14-7とリードした[3]。さらにハートリーブからマイアミ大学のロッド・カーターがインターセプト、ドラモンドの1ヤードのTDランで21-7とリードを広げた。前半残り2秒にストヤノビッチの30ヤードのFGが決まり、24-7でハーフタイムを迎えた[3]。
後半、東軍はストヤノビッチが、第3Q中盤に22ヤード、第4Q中盤に49ヤードのFGを成功させた。西軍は第3Qには敵陣40ヤード地点まで前進したが、第4ダウン残り1ヤードでオクラホマ大学のアンソニー・スタッフォード(Anthony Stafford)がファーストダウンを更新できず、ギャンブルに失敗、ハートリーブがシラキュース大学のクリス・イングラム(Kris Ingram)にもインターセプトされたり、要所でQBサックされるなど、西軍ディフェンスに抑えられた[3]。
MVPには、ミシガン大学のDLマーク・メズナー、最優秀攻撃選手には、ドラモンド、最優秀守備選手には、デリック・トーマスが選ばれた[2]。
脚注
編集- ^ アメフト・ジャパンボウルは1月16日 読売新聞 1988年12月17日 朝刊19ページ
- ^ a b [アメフト ジャパンボウル]16日 東軍、3年ぶりV "MVP" にメズナー 読売新聞 1989年1月17日 朝刊18ページ
- ^ a b c d e “East Defense Shuts Down West for a 30-7 Victory”. ロサンゼルス・タイムズ (1989年1月16日). 2018年12月26日閲覧。