第百三十七号哨戒特務艇
第百三十七号哨戒特務艇[注釈 1](だいひゃくさんじゅうななごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の55番艇[注釈 2]。太平洋戦争の終戦時に残存したが、戦後の掃海作業中に座礁し放棄された。
第百三十七号哨戒特務艇 | |
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基本情報 | |
建造所 |
船体:四国船渠工業所 兵装艤装:呉海軍工廠 |
運用者 |
大日本帝国海軍 第二復員省 |
艦種 |
特務艇(1944年11月) 掃海艦(1945年12月) |
級名 | 第一号型哨戒特務艇 |
建造費 | 1,350,000円(予算成立時の価格) |
艦歴 | |
計画 | マル戦計画 |
竣工 | 1945年7月15日 |
最期 | 1946年4月18日座礁放棄 |
除籍 |
1945年11月30日(日本海軍) 1946年6月1日(第二復員省) |
その後 | 1947年11月22日解体指令 |
改名 |
第百三十七号哨戒特務艇(1944年11月) 哨特第百三十七号(1945年12月) |
要目(哨戒特務艇・計画時) | |
基準排水量 | 238トン |
水線長 | 28.50m |
水線幅 | 6.14m |
吃水 | 2.35m |
機関 | 400型中速ディーゼル1基、1軸 |
出力 | 400bhp |
速力 | 9.0ノット |
燃料 | 重油26トン |
航続距離 | 8ノットで4,000カイリ |
乗員 | 34名 |
兵装 |
25mm機銃 連装1基、単装2基 12センチ噴進砲2門 爆雷12個、魚雷落射機2基 |
搭載艇 | 短艇1隻 |
レーダー | 13号電探1基 |
ソナー | 三式水中探信儀三型1基 |
艇歴
編集マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の137番艇、仮称艦名第2257号艦として計画。1944年11月5日、第百三十七号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の52番艇に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。1945年4月26日、船体概成により株式会社四国船渠工業所から呉海軍工廠へ引き渡し。7月15日竣工し、本籍を呉鎮守府に定められ、佐伯防備隊に編入。
終戦時は佐伯に所在。戦後は掃海に従事。11月30日、海軍省の廃止に伴い除籍。
1945年12月1日、第二復員省の開庁に伴い、呉地方復員局所管の掃海艦に定められ、同局掃海部佐伯支部所属と定められる。また、同日から艦名を哨特第百三十七号としている。
1946年4月18日、下関市吉見沖で掃海作業中、荒天に遭遇し同地で座礁して放棄された。6月1日、哨特第百三十七号は呉地方復員局掃海部佐伯支部から削除され、掃海艦の定めを解かれた。その後は部品取りとして使用された。
1947年2月1日、行動不能艦艇(特)に定められる。11月22日、在東京アメリカ極東海軍司令部から日本に対し、本艇の解体が指令された。
脚注
編集- 注釈
- ^ 本来の艇名表記は第百三十七號哨戒特務艇(1945年12月20日以降は哨特第百三十七號)。
- ^ 本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は52番艇、これら3隻を含めると通算で55番艇となる。
- 脚注
参考文献
編集- 海軍省
- 昭和19年11月5日付 達第363号、内令第1234号、内令第1236号。
- 昭和20年7月15日付 内令第644号、内令第645号。
- 昭和20年9月1日付 呉海軍軍需部『佐伯地区兵器/軍需品/舟艇/施設等引渡目録』。
- 第二復員省、復員庁
- 昭和20年12月1日付 内令第5号、内令第7号。
- 昭和21年6月1日付 内令第70号、内令第71号。
- 昭和22年2月1日付 復員庁第二復員局総務部 二復総第49号。
- 在東京アメリカ極東海軍司令部
- 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。
- (a) 解撤スベキ艦船ノリスト。
- (b) 民需用トシテ内務省ヘ引渡スベキ艦艇ノリスト。
- 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。
- 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
- 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
- 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
- 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。