第九十号哨戒特務艇[注釈 1](だいきゅうじゅうごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の38番艇[注釈 2]

第九十号哨戒特務艇
基本情報
建造所 船体:市川造船所
兵装艤装:横須賀海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
艦種 特務艇
級名 第一号型哨戒特務艇
建造費 1,350,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 マル戦計画
起工 1944年1月24日[1]
竣工 1945年4月11日
最期 1945年8月-9月触雷沈没
除籍 1947年5月3日
要目(計画時)
基準排水量 238トン
水線長 28.50m
水線幅 6.14m
吃水 2.35m
機関 400型中速ディーゼル1基、1軸
出力 400bhp
速力 9.0ノット
燃料 重油26トン
航続距離 8ノットで4,000カイリ
乗員 34名
兵装 25mm機銃 連装1基、単装2基
12センチ噴進砲2門
爆雷12個、魚雷落射機2基
搭載艇 短艇1隻
レーダー 13号電探1基
ソナー 三式水中探信儀三型1基
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艇歴

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マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の90番艇、仮称艦名第2210号艦として計画。1944年1月24日、市川造船所で起工[1]。11月5日、第九十号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の35番艇に定められ、本籍を舞鶴鎮守府と仮定。1945年3月15日、船体概成により市川造船所から横須賀海軍工廠へ引き渡し。4月11日竣工し、本籍を舞鶴鎮守府に定められ、連合艦隊第二十二戦隊第三監視艇隊に編入。隊内区分第一小隊に配置。特務艇長職務執行者は4月11日着任の第三監視艇隊附 石村正英海軍少尉。

5月20日、第三監視艇隊司令艇を特設砲艦第一雲洋丸[注釈 3]から本艇に変更。乗員は隊司令以下71名になる。4月から5月にかけては横浜に在泊し、哨戒線へ出撃した記録は残されていない。

7月1日、第三監視艇隊から削除され舞鶴鎮守府新潟港湾警備隊に編入。終戦時健在だったかどうかは不明[注釈 4]で、8月または9月に酒田港で触雷し沈没した[注釈 4]

1947年2月1日、行動不能艦艇(特)に定められる。5月3日、第九十号哨戒特務艇は海軍編制の廃止に伴い除籍された。

脚注

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注釈
  1. ^ 本来の艇名表記は第九十號哨戒特務艇。
  2. ^ 本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇第33号哨戒特務艇第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は35番艇、これら3隻を含めると通算で38番艇となる。
  3. ^ 第一雲洋丸は同日付で横須賀鎮守府所管の特設砲艦とした定めを解かれ、同鎮守府所管の特設運送艦と定められた。
  4. ^ a b 福井『昭和軍艦概史III』p. 122では「20.8-9(?)」と、世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』p. 113では「8-9月」としており、いずれも日付が不明。
脚注
  1. ^ a b 戦史叢書 『海軍軍戦備(2)』、p. 101。

参考文献

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  • 海軍省復員庁
    • 昭和19年11月5日付 達第363号、内令第1234号、内令第1236号。
    • 昭和20年4月11日付 内令第319号、内令第320号。
    • 昭和20年5月20日付 内令第450号、内令第451号。
    • 昭和20年7月1日付 内令第587号、内令第588号。
    • 昭和20年7月16日付 秘海軍公報 第5070号。
    • 昭和22年2月1日付 復員庁第二復員局総務部 二復総第49号。
    • 昭和22年5月3日付 復員庁第二復員局 復二第327号。
    • 第二十二戦隊戦時日誌。
    • 第三監視艇隊戦時日誌。
  • 坂本正器/福川秀樹 『日本海軍編制事典』、芙蓉書房出版、2003年。ISBN 4-8295-0330-0
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。