竹内 藤男(たけうち ふじお、1917年(大正6年)11月30日 - 2004年(平成16年)9月7日)は、日本政治家官僚茨城県知事を5期務めた(公選 第8・9・10・11・12代)。元参議院議員

竹内藤男
たけうち ふじお
生年月日 (1917-11-30) 1917年11月30日
出生地 朝鮮京畿道京城府
(現在の大韓民国の旗 韓国ソウル特別市
没年月日 (2004-09-07) 2004年9月7日(86歳没)
出身校 東京帝国大学(現在の東京大学
前職 建設省官僚
所属政党自由民主党→)
無所属
称号 法学士

選挙区 茨城県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1971年7月4日 - 1975年3月25日

公選第8-12代 茨城県知事
当選回数 5回
在任期間 1975年4月23日 - 1993年8月11日
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人物・来歴

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朝鮮京城(現在のソウル)生まれ。

旧制鉾田中学校、(現在の茨城県立鉾田第一高等学校)、旧制水戸高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業。

大学卒業後、国家公務員となり、旧建設省にて都市局長まで務めたのち、参議院議員に転じた。茨城県知事に当選後は、在任中に、筑波研究学園都市筑波科学万博の誘致、常磐自動車道建設など、大型プロジェクトを進めた。知事在任期間は1975年4月23日 - 1993年8月11日(当選5回)。つくば市の成立にも尽力し[1]、市名の実質的な名付け親でもある[2]。在任中の1993年にゼネコン4社から9500万円を受け取った収賄容疑で逮捕・起訴された(ゼネコン汚職事件)。茨城県は文化施設の振興が他県と比較し遅れていた事もあり、竹内は文化振興に熱心であった。昭和50年代、近代美術館、自然博物館、五浦美術館および陶芸美術館といった拠点を作る考えでいたが、当時はオイルショックによるマイナス成長であったため、予め基盤づくりを行い景気が上昇するまで備えとした。その後、1994年にはミュージアムパーク茨城県自然博物館がオープンし、五浦美術館は後任の橋本昌が竹内の計画を引き継ぐ形で1997年にオープンした。

略歴

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脚注

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注釈・出典

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  1. ^ 筑波研究学園都市関係町村合併の記録編集委員会(1989):48ページ
  2. ^ 毎日新聞水戸支局 編著(1989):51ページ

参考文献

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  • 筑波研究学園都市関係町村合併の記録編集委員会『つくば市誕生の記録』つくば市、平成元年3月31日発行
  • 毎日新聞水戸支局 編著『検証・つくば合併』筑波書林、平成元年2月20日、222pp.
公職
先代
岩上二郎
 茨城県知事
公選第8-11代:1975年 - 1993年
次代
橋本昌