窪田 登(くぼた みのる、1930年4月29日 - 2017年8月20日[1])は、日本の元ボディビルダー、元重量挙げ選手。吉備国際大学名誉教授、早稲田大学名誉教授。

獲得メダル
日本の旗 日本
男子 重量挙げ
アジア競技大会
1954 マニラ ライト級
1958 東京 ライトヘビー級
1951 ニューデリー ライト級

人物・来歴

編集

岡山県倉敷市に生まれる[1]。兄の影響でウエイトトレーニングを始め。1947年の第1回関西重量挙げ選手権ではライト級第2位となる[1]1952年、日本ウエイトリフティング協会が開催したボディコンテスト「ミスター日本コンテスト」にて優勝[1]。このコンテストが日本ボディビル協会(のちの日本ボディビル連盟)設立のきっかけとなる。

旧制倉敷高校・新制倉敷高校(現・岡山県立倉敷青陵高等学校)を経て[1]早稲田大学第一法学部を卒業。1960年ローマオリンピック・ウエイトリフティング競技に出場し、ライトヘビー級7位。1991年、NSCAジャパン初代理事長に就任(1999年9月まで)[1]。ボディビル・ウェイトトレーニング関連の著書・訳書を多く手掛け、ボディビル競技の普及に貢献した。

2002年4月 - 2004年3月、吉備国際大学学長を務める。

2006年瑞宝中綬章を受章[2]

著書

編集
  • 『ボディ・ビルディング入門』小藤書店、1955年
  • 『新ボディ・ビル入門』ベースボールマガジン社、1972年
  • 『スポーツ選手の種目別筋力トレーニング』大泉書店、1989年
  • 『私のウエイト・トレーニング50年』体育とスポーツ出版社、1998年
  • 『筋力トレーニング法100年史』体育とスポーツ出版社、2007年

脚注

編集
  1. ^ a b c d e f 追悼 NSCAジャパン初代理事長 窪田 登氏 ご逝去 NSCAジャパン、2017年10月25日
  2. ^ 秋の叙勲・褒章受賞者 私学関係者”. 日本私立大学協会 (2006年11月8日). 2023年4月17日閲覧。

関連項目

編集