穴澤天神社

東京都稲城市矢野口にある神社

穴澤天神社(あなざわてんじんしゃ)は東京都稲城市矢野口にある神社である。延喜式神名帳に記載される「武藏國多磨郡穴澤神社」に比定されている。旧社格は郷社

穴澤天神社

拝殿
所在地 東京都稲城市矢野口3292[1]
位置 北緯35度37分58秒 東経139度31分20.8秒 / 北緯35.63278度 東経139.522444度 / 35.63278; 139.522444座標: 北緯35度37分58秒 東経139度31分20.8秒 / 北緯35.63278度 東経139.522444度 / 35.63278; 139.522444
主祭神 少彦名命[1]
社格 式内社(小)論社
郷社[1]
創建 (伝)孝安天皇4年[1]
本殿の様式 神明造
例祭 8月25日
地図
穴澤天神社の位置(東京都内)
穴澤天神社
穴澤天神社
穴澤天神社 (東京都)
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祭神

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主祭神

現在の主祭神は少彦名命となっているが、これには異論もあり、本来は少彦名命ではなくこの地の土地神(穴澤神)を祀っていたのではないかとも考えられている。

相殿神

元禄7年(1694年)に天満神社の祭神を合祀した。
  • 大己貴命[1]
大正7年(1918年)に国安神社の祭神を合祀した。

境内社

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  • 稲荷社
  • 神明神社
  • 山王神社
  • 辨天社
江戸時代までは、洞窟入口に大黒天や毘沙門天等の仏像が安置されていた[3]が、明治4年(1871年)に旧別当寺「威光寺」[2]へ遷された(弁天洞窟[4]。現在は、左側の洞窟に石祠が残されている。

概要

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湧水

創建は孝安天皇4年(紀元前423年)3月とされる[5]三沢川沿いの多摩丘陵の中腹が境内となっている。境内直下の崖下の洞窟の祠からは東京の名湧水57選に選ばれている湧水が湧き出ており、これを汲みに来る者が絶えない。

『穴澤天神縁起』には、元禄7年(1694年)に地頭であった加藤太郎左衛門が社殿を改修、天満神社を合祠したとの記述がある。境内の北側(三沢川側)の斜面には横穴があって、かつてはここに石仏が安置されていたが、現在は威光寺の弁天洞窟内に移されている。この処置が廃仏毀釈の結果なのかどうかは不明である。社殿は1986年に修復された。

境内には、稲城の地名の命名者といわれる漢学者窪全亮の私塾「奚疑塾」の功績を称えた顕彰碑が建つ。

例大祭は8月25日で、江戸の里神楽(国の重要無形民俗文化財[6]獅子舞(市指定文化財[7])などが奉納される。

交通

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 東京都神社庁.
  2. ^ a b 江戸名所図会 1927, p. 435.
  3. ^ 新編武蔵風土記稿 矢野口村.
  4. ^ 文化財ノート No.45 弁天洞窟 稲城市教育委員会、2023年4月14日閲覧
  5. ^ 江戸名所図会 1927, p. 438.
  6. ^ 江戸の里神楽 - 国指定文化財等データベース(文化庁))
  7. ^ 稲城市.

参考文献

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外部リンク

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