穂富 山城守(ほとみ やましろのかみ、生年不詳 - 天正12年(1584年))は、戦国時代の武将。
豊臣秀次から軍師と仰がれた人物。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いでは敵を察知し、陣を整えるよう秀次に提言した(白山林の戦い) [1]。しかし徳川軍の急襲を受け岡本彦三郎らとともに討死した[2][3]。
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