稲野村
日本の兵庫県川辺郡にあった村
稲野村(いなのむら)は、1889年から1940年まで存在した日本の兵庫県川辺郡にあった村。
いなのむら 稲野村 | |
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稲野村役場 | |
廃止日 | 1940年11月10日 |
廃止理由 |
新設合併 稲野村、伊丹町 → 伊丹市 |
現在の自治体 | 伊丹市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 兵庫県 |
郡 | 川辺郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 10.43 km2. |
総人口 |
9,480人 (国勢調査、1940年) |
隣接自治体 |
川辺郡伊丹町、川西町、長尾村、小浜村、立花村、園田村 武庫郡良元村、武庫村 |
稲野村役場 | |
所在地 | 兵庫県川辺郡稲野村大字昆陽字市場 |
座標 | 北緯34度47分04秒 東経135度24分03秒 / 北緯34.78431度 東経135.40094度座標: 北緯34度47分04秒 東経135度24分03秒 / 北緯34.78431度 東経135.40094度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集現在の伊丹市西部から南部に当たる地域である。東を伊丹町、北東を川西町、北を長尾村、北西を小浜村、南を立花村、南東を園田村、西を武庫郡良元村、南西を武庫郡武庫村と接していた。
歴史
編集稲野村の村域は南部が摂津国河辺郡為奈郷(いなのごう)、北部が武庫郡児屋郷(こやのごう)に分かれていたが、中世には武庫川の流域変遷により児屋郷の西側が西小屋荘(にしこやのしょう)として武庫郡に留まり、東側が小屋荘(こやのしょう)として川辺郡に組み込まれた[1]。
猪名川の西に開けた平野を「猪名野」と称し、大弐三位「有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする」を始め歌枕としても著名であった。この「猪名野」へ後に「稲野」の字が当てられ、これが村名の由来となっている。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により西野・中野・東野・池尻・寺本・昆陽・千僧・山田・野間・南野・御願塚の各村が合併し稲野村が発足。
- 1940年(昭和15年)11月10日 - 稲野村と伊丹町の新設合併により伊丹市が成立、川辺郡を離脱する。
現在の稲野町は伊丹市成立後の1957年に御願塚の一部を稲野町1〜7丁目として分割し、1959年に南野から一部を8丁目として編入した地域である[1]。
経済
編集産業
編集- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば稲野村の篤農家は、「谷垣為次郎、久保武兵衛、前田半兵衛、中島宇兵衛、民田熊太郎、中島庄蔵、阪上平右衛門、中島幾次郎」などがいた[2]。
交通
編集鉄道
脚注
編集- ^ a b 角川、190ページ。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』124頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月6日閲覧。
参考文献
編集- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 伊丹市統計書 平成10年度版 - 旧村域の総面積を10.43平方キロメートルとする。
- 『角川日本地名大辞典 第28巻 兵庫県』。