稲田(いなだ)は、長野県長野市の北東部の地区。住居表示実施済みで一 - 四丁目まである。郵便番号381-0042

稲田
商業集積が進む若槻大通り(稲田一丁目)
商業集積が進む若槻大通り(稲田一丁目)
稲田の位置(長野市内)
稲田
稲田
稲田の位置
北緯36度40分27.3秒 東経138度13分11.1秒 / 北緯36.674250度 東経138.219750度 / 36.674250; 138.219750
日本
都道府県 長野県
市町村 長野市
地区 若槻地区
人口
2023年令和5年)3月1日現在)
 • 合計 5,944人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
381-0042
市外局番 026
ナンバープレート 長野
※座標は稲田公民館付近

全域が長野市役所若槻支所の管内である。

概要

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地区の南端を浅川が流れ、北端を新田川が流れる。南東の隅にしなの鉄道北しなの線が走り、三・四丁目の境を成す。北部に北部幹線が東西に通り、西部を若槻大通り長野県道60号長野荒瀬原線(旧北国街道)、東部を市道東豊線が南北に貫く。周囲は以下の大字町丁と接する。

 
旧東山道ゆかりの「稲田のエノキ」(稲田三丁目)

若槻大通り北部幹線(サンロード)・東豊線の3本の幹線道路が通り、地区内には鉄道駅こそないものの多くの路線バスが走っており、交通の便はよい。土地区画整理事業も進み、長野市の近郊住宅地として発展している。若槻大通り・北部幹線(サンロード)沿いにはロードサイド店舗が軒を連ねる。

もとは稲作畑作地帯であり、前身の稲積(古くは稲住とも書いた)という地名は稲作が盛んであったことが由来であるという[1]1604年慶長9年)には村内東部を通る東山道の支道が北国街道に指定され、村内には一里塚稲積一里塚)が築かれた。この一里塚は、北塚・南塚の2基双方が完全な形で残っている貴重な史跡である。なお、北国街道はその後1611年(慶長16年)、村内西部の、現在の長野県道60号長野荒瀬原線(旧道)の道筋に移った。

地名の由来は、前身の稲積村・山田村が1875年明治8年)に合併した際に両村名から1字ずつ採った合成地名[1]

地区内の人口および世帯数は以下の通り(令和5年3月1日現在)[2]

世帯数 人口
稲田一丁目 545世帯 1,250人
稲田二丁目 1029世帯 2,403人
稲田三丁目 730世帯 1,838人
稲田四丁目 179世帯 453人
2,483世帯 5,944人

沿革

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現在の稲田地区の範囲は、概ね旧上水内郡稲田村の範囲に相当する。

旧稲田村の歴史
長野市稲田の歴史
  • 1967年(昭和42年)11月1日 - 「稲積一里塚」が長野市指定史跡となる
  • 1972年(昭和47年)3月1日 - 「稲田のエノキ」が長野市指定天然記念物となる
  • 1987年(昭和62年)11月1日 - 住居表示施行。大字稲田の一部が、稲田一丁目となる
  • 1996年度(平成8年度) - 稲田南土地区画整理事業が始まる。現在の稲田二丁目南東部から稲田三丁目南部にかけての約23.5ha
  • 2004年(平成16年)8月30日 - 住居表示施行。大字稲田の全域が、稲田二・三・四丁目となる。これにより、稲田地区全域で住居表示が施行される
  • 2005年度(平成17年度) - 稲田南土地区画整理事業が完了

交通

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路線バス

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地区内の若槻大通り旧北国街道北部幹線(サンロード)などを長電バスぐるりん号の以下の路線系統が走っている。

施設

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稲田一丁目

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稲田二丁目

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  • 中の池
  • AOKI 若槻店

稲田三丁目

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  • 稲田エノキ公園
    • 「稲田のエノキ」 - 長野市指定天然記念物[3]
  • 湯あそびひろば ぶらっと
  • 一里塚公園
    • 「稲積一里塚」 - 長野市指定史跡[4]

稲田四丁目

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脚注

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  1. ^ a b 『角川日本地名大辞典 20 長野県』角川書店、1990年(ISBN 4040012003
  2. ^ 長野市. “長野市町別人口及び世帯数”. 長野市. 2023年3月24日閲覧。
  3. ^ 稲田のエノキ - 長野市文化財データベース(長野市教育委員会文化財課)
  4. ^ 稲積一里塚 - 長野市文化財データベース(長野市教育委員会文化財課)