稲沢徳一郎
稲沢 徳一郎(稻澤 德一郎、いなざわ とくいちろう、1855年1月3日(安政元年11月15日[1][注釈 1])- 1912年(明治45年)6月4日[2])は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員、栃木県那須郡上江川村長。
経歴
編集下野国那須郡鹿子畑村(栃木県[2]那須郡上江川村[3]大字鹿子畑[4]、喜連川町を経て現さくら市鹿子畑)で、豪農[5]の家に生まれる。漢学、行政学、経済学、財政学を修めた[2][3][5]。
戸長を務め[2][3][5]、1888年(明治21年)立憲改進党に入党[4]。那須郡会議員、同議長、栃木県会議員、所得税調査委員などを務め[2][3][4][5]、1897年(明治30年)2代上江川村長に就任した[4]。
1903年(明治36年)3月、第8回衆議院議員総選挙(栃木県郡部、憲政本党)に立候補して当選し[6]、衆議院議員に1期在任[2][3]。1904年(明治37年)3月、第9回総選挙(栃木県郡部、憲政本党)では落選した[6]。
1906年(明治39年)4月、上江川村長に再任(5代)され1年3ヶ月間在任し、村政改革に取り組んだ[4]。
実業界では、塩那肥料社長、喜連川銀行取締役、喜連川人車鉄道監査役、産馬組合理事、農林会理事などを務めた[2][3][5]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 『栃木県歴史人物事典』68頁では1857年(安政4年)。