稲村佐近四郎
(稲村左近四郎から転送)
稲村 佐近四郎(いなむら さこんしろう、1917年1月20日 - 1990年7月29日)は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員(8期)。
稲村 佐近四郎 いなむら さこんしろう | |
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生年月日 | 1917年1月20日 |
出生地 | 石川県羽咋市 |
没年月日 | 1990年7月29日(73歳没) |
出身校 | 安田商工専門学校 |
前職 | 建設会社社長 |
所属政党 | 自由民主党(大野派→水田派→中曽根派) |
親族 | 子・稲村建男 |
内閣 | 第2次中曽根内閣 |
在任期間 | 1983年12月27日 - 1984年11月1日 |
内閣 | 福田赳夫改造内閣 |
在任期間 | 1977年11月28日 - 1978年12月7日 |
選挙区 | 旧石川2区 |
当選回数 | 8回 |
在任期間 | 1963年11月21日 - 1986年6月2日 |
来歴・人物
編集石川県羽咋市大町出身。安田商工専門学校卒業。建設会社社長を経て、1963年の第30回衆議院議員総選挙に旧石川2区から出馬し初当選。連続当選8回(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・田中六助・伊東正義・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮・三原朝雄など)。自民党内では中間派の大野伴睦→村上勇→水田三喜男派に所属したが消滅後は中曽根康弘派に合流。1977年福田改造内閣の総理府総務長官兼沖縄開発庁長官として初入閣。1983年第2次中曽根内閣で国土庁長官兼北海道開発庁長官として再度入閣を果たす。
自民党きっての繊維族議員の大物としても知られていたが、1986年日本撚糸工業組合連合会から500万円を受け取ったとして収賄罪で在宅起訴され(撚糸工連事件)、政界引退に追い込まれた。1989年東京地裁で懲役2年6ヶ月(執行猶予3年)、追徴金500万円の有罪判決を言い渡され控訴せず確定。
子の稲村建男は石川県議会議員で1990年の第39回衆議院議員総選挙で石川2区より出馬したが落選した。
選挙歴
編集当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 |
政党内比例順位 /政党当選者数 |
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当 | 第30回衆議院議員総選挙 | 1963年11月21日 | 46 | 旧石川2区 | 無所属 | 3万4874票 | 17.60% | 3 | 3/7 | / |
当 | 第31回衆議院議員総選挙 | 1967年 1月29日 | 50 | 旧石川2区 | 自由民主党 | 4万653票 | 22.45% | 3 | 3/6 | / |
当 | 第32回衆議院議員総選挙 | 1969年12月27日 | 52 | 旧石川2区 | 自由民主党 | 3万5946票 | 18.88% | 3 | 3/7 | / |
当 | 第33回衆議院議員総選挙 | 1972年12月10日 | 55 | 旧石川2区 | 自由民主党 | 4万9696票 | 23.36% | 3 | 2/5 | / |
当 | 第34回衆議院議員総選挙 | 1976年12月 5日 | 59 | 旧石川2区 | 自由民主党 | 4万8550票 | 21.87% | 3 | 3/6 | / |
当 | 第35回衆議院議員総選挙 | 1979年10月 7日 | 62 | 旧石川2区 | 自由民主党 | 5万3986票 | 25.60% | 3 | 3/5 | / |
当 | 第36回衆議院議員総選挙 | 1980年 6月22日 | 63 | 旧石川2区 | 自由民主党 | 5万7684票 | 26.35% | 3 | 2/7 | / |
当 | 第37回衆議院議員総選挙 | 1983年12月18日 | 66 | 旧石川2区 | 自由民主党 | 5万1627票 | 25.21% | 3 | 3/6 | / |
脚注
編集注釈
編集出典
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関連項目
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公職 | ||
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先代 加藤六月 |
国土庁長官 第12代:1983年 - 1984年 |
次代 河本嘉久蔵 |
先代 加藤六月 |
北海道開発庁長官 第46代:1983年 - 1984年 |
次代 河本嘉久蔵 |
先代 藤田正明 |
沖縄開発庁長官 第8代:1977年 - 1978年 |
次代 三原朝雄 |
先代 藤田正明 |
総理府総務長官 第27代:1977年 - 1978年 |
次代 三原朝雄 |
議会 | ||
先代 山村新治郎 |
衆議院商工委員長 1976年 |
次代 野呂恭一 |