稲垣正浩
経歴
編集大阪府富田林市生まれ[2]。愛知県豊橋市で育ち、愛知県立時習館高等学校を卒業しており[2]、愛知県出身と紹介されることもある[1]。
東京教育大学体育学部を1960年に卒業して、専攻科に進み、さらに1962年に同大学院教育学研究科へ進学[2][3]、1969年に[3]博士課程を単位取得退学し[1]、東京教育愛学教務補佐員となった[2]。1974年から愛知教育大学助教授、1976年から大阪大学助教授を経て、1978年から奈良教育大学助教授、1984年から同教授となり、1997年まで在職した[1][3]。その後、1997年に日本体育大学体育研究所教授、翌1998年に同大学院教授となった[2]。
また、スポーツ史学会会長を2回にわたって務め(1996年 - 2000年、2004年 - 2008年)[2][3]、神戸市外国語大学客員教授、ISC・21(21世紀スポーツ文化研究所)主幹研究員なども歴任した[4]。
おもな業績
編集単著
編集- 『0(ゼロ)のことをなぜラブと呼ぶの?』大修館書店(先生なぜですか)、1991年
- 『スポーツを読む』全3巻、三省堂選書、(1) 1993年、〈2-3〉1994年
- 『スポーツの後近代―スポーツ文化はどこへ行くのか』三省堂、1995年
- 『スポーツ文化の脱構築』叢文社(スポーツ学選書)、2001年
- 『児童文学のなかにスポーツ文化を読む』叢文社(スポーツ学選書)、2001年
- 『現代思想とスポーツ文化』叢文社(スポーツ学選書)、2002年
- 『テニスとドレス』叢文社(スポーツ学選書)、2002年
- 『スポーツ文化の現在を探る』叢文社(スポーツ学選書)、2002年
- 『伝記文学のなかにスポーツ文化を読む』叢文社(スポーツ学選書)、2002年
- 『紀行文学のなかにスポーツ文化を読む』叢文社(スポーツ学選書)、2002年
- 『評論文学のなかにスポーツ文化を読む』叢文社(スポーツ学選書)、2003年
- 『宗教文学のなかにスポーツ文化を読む』叢文社(スポーツ学選書)、2003年
- 『“スポーツする身体”を考える』叢文社(スポーツ学選書)、2003年
- 『初耳だらけのオリンピックびっくり観戦講座―知られざる競技の背景とその見どころ 夏編』はまの出版、2004年
- 『身体論―スポーツ学的アプローチ』叢文社(スポーツ学選書)、2004年
- 『ウィーンの生涯スポーツ』叢文社(スポーツ学選書)、2005年
- 『伝承文学のなかにスポーツ文化を読む』叢文社(スポーツ学選書)、2005年
- 『イギリス文学のなかにスポーツ文化を読む』叢文社(スポーツ学選書)、2006年
共著
編集- 『近代体育スポーツ年表』 (保健体育指導選書) 岸野雄三,成田十次郎,大場一義共編. 大修館書店, 1980.9
- (松本芳明、福地豊樹との共著)『とび箱ってだれが考えたの?』大修館書店(先生なぜですか)、1991年
- (谷釜了正との共著)『スポーツ史講義』大修館書店、1995年
- (寒川恒夫、野々宮徹、谷釜了正との共著)『図説 スポーツの歴史―「世界スポーツ史」へのアプローチ』大修館書店、1996年
- (松本芳明との共著)『新世紀スポーツ文化論』タイムス(体育学論叢 5)、2002年
- (藤井英嘉との共著)『スポーツ科学からスポーツ学へ』叢文社(スポーツ学選書)、2006年
- (西谷修、今福龍太との共著)『近代スポーツのミッションは終わったか―身体・メディア・世界』平凡社、2009年
- 『からだが生きる瞬間 竹内敏晴と語りあった四日間』竹内敏晴 ほか 著, 三井悦子共編. 藤原書店, 2018.6