種子田秀実
大日本帝国陸軍軍人 (1868-1936)
種子田 秀実(種子田 秀實、たねだ ひでみ、1868年1月23日(慶應3年12月29日) - 1936年(昭和11年)4月25日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。位階勲等功級は正四位勲二等功五級[2]。
種子田 秀実 | |
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生誕 |
1868年1月23日 薩摩国 鹿児島藩 |
死没 | 1936年4月25日(68歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1892年 - 1923年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴・人物
編集鹿児島県士族の種子田休五郎の長男として薩摩国鹿児島藩(現・鹿児島県)に生まれる[2][3]。1892年(明治25年)陸軍士官学校第3期卒業[1][4]。
日清戦争に出征したのち、陸軍大学校に入校し、1900年(明治33年)同校を第14期で卒業する[1][3][4]。
1904年(明治37年)日露戦争が勃発すると第12師団参謀として出征[1]。
その後は、1912年(大正元年)9月に陸軍歩兵大佐・宇都宮連隊区司令官、1913年(大正2年)8月に歩兵第8連隊長、1915年(大正4年)2月に近衛師団参謀長、1917年(大正6年)8月に陸軍少将・歩兵第7旅団長、1920年(大正9年)8月に第8師団司令部附を経て、1921年(大正10年)7月に陸軍中将・旅順要塞司令官に任官[1][4]。2年後の1923年(大正12年)8月に待命し、翌月、予備役に編入した[1][4]。
栄典
編集- 位階
- 1893年(明治26年)5月10日 - 正八位[5]
- 1895年(明治28年)11月15日 - 従七位[6]
- 1909年(明治42年)3月1日 - 正六位[7]
- 1917年(大正6年)8月30日 - 正五位[8]
- 正四位[9]
- 勲章等
- 外国勲章佩用允許
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 人事興信所編『人事興信録』第8版、人事興信所、1928年。