秦舞陽
秦舞陽(しん ぶよう、拼音:Qín Wǔ-yáng、紀元前240年 - 没年不明)は、中国戦国時代末期の刺客。
秦舞陽 | |
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プロフィール | |
出生: | 紀元前240年 |
死去: | 不明 |
職業: | 刺客 |
各種表記 | |
繁体字: | 秦舞陽 |
簡体字: | 秦舞陽 |
拼音: | Qín Wǔ-yáng |
英語名: | Qin Wuyang |
概要
編集燕の将軍秦開の孫である[1]。13歳の時、人を殺したことがあり、そのため、当時の人は誰も面と向かって彼を見ることができなかったという[2]。後に燕太子丹が彼を探し出し、荊軻の助手に起用し、咸陽に赴かせ、秦王政暗殺の任務に就かせた。
秦の朝廷で、政に荊軻が督亢(とくごう、現在の河北省保定市涿州市・高碑店市)の地図を献上する時、秦舞陽は恐怖から全身が震え始め、不審に思った秦の群臣が尋ねると、荊軻は「北方の田舎者ゆえ、未だ天子にお会いしたことがないので、恐れおののいています」と語った。結局、暗殺は失敗して荊軻はその場で討たれた。事件後の秦舞陽について史書に記載が無く、定かではない。