秦智麻呂
秦 智麻呂(はた の ちまろ、生没年不詳)は、奈良時代後期の官人。姓は忌寸。官位は外従五位下・奉写一切経司次官・主税助。
経歴
編集その活躍は称徳朝のみに限られており、天平宝字8年(764年)10月、藤原仲麻呂の乱後の論功で、正六位上から外従五位下に叙せられている、神護景雲元年(767年)改元の際、既に三河介に任じられていたが、外従五位上に叙せられている。なお、この時の三河守は伊勢老人、三河目は紀門守、三河掾は民総麻呂。同月、若江王とともに写一切経司次官に任じられており、同2年(768年)正月[1]、同3月[2]、同5月[3]、同6月[4]、同11月[5]、同12月[6]にも、奉写一切経司次官として同司牒に自署している。同3年(769年)3月、主税頭大伴清麻呂の主税助を勤めている。
官歴
編集注記のないものは『続日本紀』による。