秋田市立金足東小学校
秋田県秋田市にある小学校
秋田市立金足東小学校(あきたしりつ かなあしひがししょうがっこう)は、秋田県秋田市金足にあった公立小学校。学校区は、秋田市北部、おおむね、県道41号線東部、馬踏川近辺となっていた。
秋田市立金足東小学校 | |
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旧校舎衛星図(2014年撮影) | |
北緯39度49分25秒 東経140度5分27.6秒 / 北緯39.82361度 東経140.091000度座標: 北緯39度49分25秒 東経140度5分27.6秒 / 北緯39.82361度 東経140.091000度 | |
過去の名称 |
吉田学校 高岡尋常小学校吉田分校 片田簡易小学校 片田尋常小学校 片田尋常高等小学校 金足東尋常小学校 金足東国民小学校 金足村立金足東小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 秋田市 |
設立年月日 | 1875年3月23日 |
閉校年月日 | 2010年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒010-0123 |
秋田市金足片田字待入109 | |
外部リンク | 学校紹介(公式)サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集1875年創設の伝統校。金足東部を学区としていた。ほとんどの生徒が、秋田市立秋田北中学校に進学していた。秋田市立下新城小学校に吸収され廃校となる。2022年現在、校舎は、油谷これくしょんとしてレトロ博物館になっている[1]。
- 敷地面積: m2
- 校舎面積: m2
- 屋内運動場面積:m2
- 屋外運動場面積: m2
教育目標
編集- 未来を切り開く子供の育成
- 明るい子
- 賢い子
- 元気な子
沿革
編集以下、注釈の無い項目は学校の公式サイトの情報によるもの[2]。
- 1875年 吉田村に吉田学校設立
- 1883年 片田村山崎に移転し高岡尋常小学校吉田分校と改称
- 1889年 片田簡易小学校と改称
- 1882年 高岡尋常小学校岩瀬分校と改称
- 1892年 片田字待入に移転増築
- 1894年 片田尋常小学校と改称
- 1895年 高等科併置・片田尋常高等小学校と改称
- 1907年 片田字刈又に移転増築
- 1908年 金足東尋常小学校と改称
- 1933年 施設・経営優秀として文部大臣表彰
- 1941年 金足東国民小学校と改称
- 1947年 金足村立金足東小学校と改称
- 1954年 金足片田字待入109に移転改築工事完工、校歌制定
- 1955年 秋田市立金足東小学校と改称
- 1968年 校旗樹立式を挙行、給水大型タンク完成
- 1969年 校庭に児童遊園地造成、学校畑に梅林造成
- 1971年 黒川簡易水道から分水工事完了
- 1975年 創立100周年記念式典を挙行
- 1986年 防水大時計・外灯・飼育小屋工事完了
- 1999年 縄文広場にトーテムポール設置、地域とともに「縄文まつりをしよう」実施
- 2002年 縄文広場にストーンサークル設置
- 2004年 斎藤憲三顕彰会研究助成校認定「学校や馬踏川周辺の野草分布の特徴について」 (イーストピア調査隊)、「縄文の家8号」新設
- 2010年 閉校となる
校章
編集- 校章のページを参照。
- 昭和9年度、創立60周年にあたり、当時の職員であった工藤飛雄太郎の発案で制定された。全体の形は、金足の「金」をかたどり、その中心に朝日をかりて「東」を表している。地色の黄金は、稲穂の実りを願ったものである。
校歌
編集- 校歌のページを参照。
- 奈良環之助 作詞、小野崎晋三 作曲
部活動
編集スポーツ少年団
編集- 剣道[3]
主な進学先
編集最寄駅
編集アクセス
編集- キングタクシー 秋田市マイタウン・バス北部線下新城コース 油谷これくしょん前下車
著名出身者
編集学区内周辺
編集関連項目
編集- 秋田県小学校一覧
- 秋田県小学校の廃校一覧
- 秋田市立金足西小学校 (兄弟校)
脚注
編集- ^ http://aburaya-collection.or.jp/
- ^ “沿革の概要”. 秋田市立金足東小学校. 2022年3月2日閲覧。
- ^ https://www.city.akita.akita.jp/city/pl/pb/koho/htm/20100319/031901.html