秋岡義一
秋岡 義一(あきおか ぎいち、1863年6月26日(文久3年5月11日[1][2][3])- 1925年(大正14年)3月31日[4][5])は、明治から大正期の日本の地主・農業経営者・実業家・政治家。衆議院議員。妻のタニは、川端康成の母方の叔母[6]。
経歴
編集摂津国東成郡蒲生村[7](大阪府[4]東成郡鯰江村[8]を経て現大阪市[5][9])で、大地主、豪農・秋岡伊兵衛の長男として生まれる[1][2][3]。1884年(明治17年)4月、家督を相続し農業を営む[1][3]。
実業界では、朝鮮綿業監査役、京阪電気鉄道監査役、京阪土地建物監査役、大阪農工銀行頭取、利別農場業務執行社員などを務めた[1][4][7][9]。
1894年(明治27年)3月の第3回衆議院議員総選挙で大阪府第4区から無所属で出馬して初当選[2][7][8]。その後、第11回総選挙まで再選され、衆議院議員に通算8期在任した[4][5][9]。この間、立憲政友会臨時協議員、同院内部長、同幹事、同協議員などを務めた[5]。
国政選挙歴
編集- 第3回衆議院議員総選挙(大阪府第4区、1894年3月、無所属)当選[10]
- 第4回衆議院議員総選挙(大阪府第4区、1894年9月、無所属)当選[11]
- 第5回衆議院議員総選挙(大阪府第4区、1898年3月、自由党)当選[11]
- 第6回衆議院議員総選挙(大阪府第4区、1898年8月、憲政党)当選[11]
- 第7回衆議院議員総選挙(大阪府郡部、1902年8月、立憲政友会)当選[12]
- 第8回衆議院議員総選挙(大阪府郡部、1903年3月、立憲政友会)当選[12]
- 第10回衆議院議員総選挙(大阪府郡部、1908年5月、立憲政友会)当選[13]
- 第11回衆議院議員総選挙(大阪府郡部、1912年5月、立憲政友会)当選[13]
脚注
編集- ^ a b c d 『人事興信録 第4版』あ72頁。
- ^ a b c 『大日本人物誌』あ之部6頁。
- ^ a b c 『大阪現代人名辞書』740頁。
- ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』16頁。
- ^ a b c d 『立憲政友会功労者追遠録』363-364頁。
- ^ 「川端康成と祖父三八郎」(国語と国文学 1975年11月号)。基底 1979, pp. 62–84に所収
- ^ a b c 『新撰衆議院議員列伝』273頁。
- ^ a b 『衆議院議員列伝』445頁。
- ^ a b c 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』11頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』6頁。
- ^ a b c 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』69頁。
- ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』4頁。
- ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』44頁。
参考文献
編集- 山崎謙 編『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 田中重策篇『新撰衆議院議員列伝』日本現今人名辞典発行所、1903年。
- 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
- 『大阪現代人名辞書』文明社、1913年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 青野権右衛門編『立憲政友会功労者追遠録』安久社、1933年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
関連文献
編集- 羽鳥徹哉『作家川端の基底』教育出版センター、1979年1月。ISBN 978-4-87365-307-5。