秋元三左衛門 (9代)
9代 秋元 三左衛門(あきもと さんざえもん、1858年7月7日(安政5年5月27日[1][注釈 1])- 1910年(明治43年)1月16日[1][2][3])は、明治期の醸造家、実業家、政治家。衆議院議員。通称・三左衛門桃渓[4]。
経歴
編集下総国葛飾郡流山村[4](千葉県[2]東葛飾郡流山町[3]流山[1]、江戸川町、流山町を経て現流山市[1]流山)で、味醂(みりん)醸造業・8代秋元三左衛門の息子として生まれる[1]。伊藤長有などから和漢学を学び、小学校普通小学科を卒業[4]。1875年(明治8年)7月に上京し、亀田保、島田重礼などに漢学を学んで、1880年(明治13年)3月に帰郷した[4]。家業の「天晴味醂」(あっぱれみりん)として知られた味醂醸造業を継承した[1][5]。その他、八十四銀行頭取、宝酒造監査役などを務めた[1]。
政界では流山村連合戸長を務めた[4]。1887年(明治20年)7月、千葉県会議員補欠選挙で当選し1892年(明治25年)まで在任した[1][2][3]。その他、所得税調査委員、流山村会議員、連合会議員、郡徴兵参事員なども務めた[4][2][3]。
1892年(明治25年)2月、第2回衆議院議員総選挙(千葉県第2区、立憲改進党)では落選したが、1893年(明治26年)4月の補欠選挙で当選し、衆議院議員に1期在任した[1][2][3]。
衆議院議員引退後は、1897年(明治30年)流山消防組頭、同年5月、東葛飾郡会議員(1899年2月まで在任)に就任[1]。治水対策の推進に尽力した[1]。
国政選挙歴
編集- 第1回衆議院議員総選挙(千葉県第2区、1890年7月、立憲改進党)落選[6]
- 第2回衆議院議員総選挙(千葉県第2区、1892年2月、立憲改進党)落選[6]
- 第2回衆議院議員総選挙補欠選挙(千葉県第2区、1893年4月)当選[2][7]
- 第3回衆議院議員総選挙(千葉県第2区、1894年3月、立憲改進党)次点落選[6]
- 第4回衆議院議員総選挙(千葉県第2区、1894年9月、立憲改進党)次点落選[8]
親族
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 『衆議院議員候補者列伝 第二編』916頁では安政6年5月27日、『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』16頁では安政3年5月。
出典
編集参考文献
編集- 大久保利夫『衆議院議員候補者列伝 : 一名・帝国名士叢伝 第二編』六法館、1890年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 衆議院事務局編『総選挙衆議院議員当選回数調 - 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 『千葉大百科事典』千葉日報社、1982年。
- 『千葉県議会史:議員名鑑』千葉県議会、1985年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。