福田 拓泉(ふくだ たくせん、本名:福田 勝美(ふくだ かつみ)、1927年昭和2年〉9月4日 - )は、東京都足立区出身の、日本政治運動家特種株主日本国民権利擁護連盟幹事長(城東支部長)、元漁船員東京都水道局元職員。長大な名称が特徴的な数々の政治団体を立ち上げ、広範な人的連帯の下、旺盛な政治活動を展開した。

妻は福田 撫子(ふくだ なでしこ、本名:福田 厚子、1943年昭和18年〉7月9日 - )で、拓泉と同じく日本政治運動家。洋裁教室経営。

政治団体

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以下は福田夫妻が主宰した政治団体の一部で、国政選挙に立候補歴のあるもの。いわゆるミニ政党と呼ばれるものである。

これらの他、政治団体名簿に記載されたものだけでも20内外存在したが、実態同一と思しい。また、『日本教育正常化促進連盟』の設立当時の事務所所在地が福田夫妻の住所にあった他、『老人福祉党』の代表を1987年から1988年の間務めていた。

沿革

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同選挙終了後、同党公認候補者だった者が「知らぬ間に立候補させられていた」と福田夫妻を告訴し、取締当局が捜査に乗り出す事態に至るも、起訴を免れる。同様の先例を参照されたい。

また同選挙では、『日本教育正常化促進連盟』(代表:石川佐智子、次の1989年の参院選では『大行社政治連盟』の代表)をも支援。

更に、花輪治三らにも協力し、『エイズ根絶性病撲滅国民運動太陽新党』(略称「太陽新党」)として活動させる。

以上、立候補した全ての選挙において、法定得票数未達で供託金を没収された。

その他

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  • 選挙公報は概ね、新聞・週刊誌のショッキングな見出しの切り張りに、軍服に似た姿の福田拓泉の写真を掲げ、自ら手描きで作成していた。そのため、日本語としてチグハグな文句も散見された。
  • 政見放送の内容も、街宣口調の示威的で迫力あるものだった。
  • 1989年の参議院選挙では、最も長い政党名が話題を呼んだ。民放の選挙特集番組では、選挙戦のさなかタオルで汗をぬぐっている姿が、秒単位ではあるが放映されている。
  • 朝日新聞の立候補者インタビューに於いて、「拓泉」とは趣味である古銭採集の際、名乗る称号と自ら説明していた。

脚注

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