福原留次
日本の実業家
福原 留次(ふくはら とめじ、1911年(明治44年)8月31日 - 1966年(昭和41年)[1])は、日本の実業家。福留ハム会長[2]。旧名・健太郎[2]。
人物
編集広島県広島市出身[2]。1926年より家業に従事[2]。1952年、福留商店を継承、2代目留次を襲名[2]。1958年3月、福留ハムを設立会長に就任[2]。広島市福島南三篠地区福祉協議会長、福島病院顧問[2]。
『商工人名録 昭和8年』には「営業種目・牛肉、区別・卸、小」とある[3]。宗教は浄土真宗[2]。住所は広島市福島町[2]。
家族・親族
編集- 福原家
1919年3月に初代福原留次が精肉卸問屋を創業した[4]。1948年、福留ハム製造所開設[4]。福留ハム初代取締役社長の中島治(1919年 - 1992年)は広島県呉市出身で[2]、1948年に福留ハム製造所代表者となる[2]。1958年3月、福留ハム株式会社の社長に就任[2]。福原康彦は長男(後に福原留次の養子となる)[1][5]、中島修治は二男である[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 広島商工会議所編『商工人名録 昭和8年』広島商工会議所、1933年。
- 広瀬弘『大衆人事録 第二十三版 西日本編』帝国秘密探偵社、1963年。