福井鉄道10形電車
福井鉄道10形電車(ふくいてつどう10がたでんしゃ)は、1925年(大正14年)に登場した福井鉄道の電車である。1987年(昭和62年)までに全車両が廃車された。
福井鉄道10形電車[1] | |
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基本情報 | |
製造所 | 日本車輌製造 |
改造所 | 広瀬車両(モハ11) |
主要諸元 | |
編成 | 1両 |
軌間 | 1067 mm |
電気方式 | 直流 600 V (架空電車線方式) |
編成定員 |
100名(座席40名)(モハ11) 90名(座席42名)(モハ12) |
車両定員 |
100名(座席40名)(モハ11) 90名(座席42名)(モハ12) |
車両重量 |
29.6 t(モハ11) 26.0 t(モハ12) |
最大寸法 (長・幅・高) |
16,060 × 2,461 × 4,146 mm(モハ11) 15,113 × 2,489 × 4,116 mm(モハ12) |
車体 |
半鋼製(モハ11) 木造(モハ12) |
台車 |
TR-14改(モハ11) ブリル27MCB-2(モハ12) |
主電動機 |
三菱MB104-A(モハ11) GE-269C(モハ12) |
主電動機出力 |
78.33kW/個(モハ11) 40.03kW/個(モハ12) |
搭載数 | 4基 / 両 |
駆動方式 | 吊り掛け駆動方式 |
歯車比 | 3.42 |
制御方式 | HL制御 |
制動装置 | SME非常直通式 |
備考 | モハ11は車体更新後のデータである。また、モハ12は電装後のデータである。 |
概要
編集1925年(大正14年)5月、輸送力増強用にデハ1形の付随車として2両が日本車輌製造にて新製された。尚、登場当時の形式称号はフハ1形であり、1930年(昭和5年)1月には電装化されフハ1はデハ6、フハ2はデハ7に改称された。さらに、福井鉄道発足後の1947年(昭和22年)に形式称号をモハ10形に改められた[2]。
登場から廃車まで
編集デハ1形とよく似たデザインの木造付随車として登場。電装化後は三菱製HL制御器を取り付け、ブレーキもSMEに変更された。台車はブリル27MCB-2を使用しており、主電動機はゼネラル・エレクトリック製GE-269Cを装備していた[3]。
1933年(昭和8年)、福井市内線が開通するとデハ1形同様、1段の手動ステップが取り付けられた。
1948年(昭和23年)6月28日、福井地震によりモハ11が被災し、車体が焼失。その後、同年12月に広瀬車両にて半鋼製車体を新製し、主電動機は三菱MB104-Aに[2]、台車はTR14の改造品に換装された[1][注釈 1]。 一方、被災しなかったモハ12は外板の鋼板化や前面窓のHゴム化改造程度にとどまった[2]。その結果、同一形式車両であるにもかかわらず、全く異なる車両となっていた[4]。
鯖浦線が廃止になった1973年(昭和48年)に、モハ12が廃車された。一方、TK-4Dドアエンジンを装備し自動扉化[2]されたモハ11は1987年(昭和62年)まで活躍した。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 鉄道友の会 福井支部 「若い仲間と代わります 福井鉄道200形 ー去りゆく老兵に贈る讃歌ー」、2017年4月、p.94、ISBN 978-4-9909490-0-6
- ^ a b c d e 鉄道友の会 福井支部 「若い仲間と代わります 福井鉄道200形 ー去りゆく老兵に贈る讃歌ー」、2017年4月、p.71、ISBN 978-4-9909490-0-6
- ^ 清水武 「福井鉄道(下)」、ネコ・パブリッシング、2016年11月1日、p.5、ISBN 978-4-7770-5401-5
- ^ a b 清水武 「福井鉄道(下)」、ネコ・パブリッシング、2016年11月1日、p.6、ISBN 978-4-7770-5401-5