福井丸
福井丸 | |
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基本情報 | |
船種 | 貨客船 |
船籍 |
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所有者 |
アダム・ブラザース社[1] 右近権左衛門 |
運用者 |
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建造所 | サンダーランド造船所[1] |
母港 |
アバディーン港/アバディーン 東京港/東京都[2] |
信号符字 | HKDV[2] |
IMO番号 | 1462(※船舶番号)[2] |
改名 | アバーゲルディ→福井丸 |
経歴 | |
進水 | 1882年3月18日 |
竣工 | 1882年3月[2] |
最後 | 1904年3月27日被雷沈没 |
その後 | 浮揚後1907年解体[3] |
要目 | |
総トン数 | 2,943トン[4] |
純トン数 | 1,878トン[1] |
長さ | 97.6m[4] |
幅 | 11.9m[4] |
深さ | 8.62m[1] |
喫水 | 6.18m[1] |
主機関 | 2連成レシプロ機関 1基[4] |
推進器 | 1軸 |
出力 | 241NHP[4] |
船歴
編集前身はイギリスのサンダーランド造船所で1882年に建造されたアダム・ブラザース社(後にアダム・スティーム・シップ社と改名)[1]の「アバーゲルディ (Abergeldie)」で、1894年に右近権左衛門が購入した[4]。「福井丸」は主に日本海航路で運航された[4]。
1904年3月、「福井丸」は第二回旅順口閉塞作戦に投入された。「福井丸」の指揮官は広瀬武夫少佐であった[5]。作戦時、港口近くで投錨した「福井丸」内で爆薬を起爆して自沈させようとしていたところ、「福井丸」はロシア駆逐艦「シーリヌイ」の雷撃を受けて被雷し沈没した[6]。「福井丸」の隊員は駆逐艦「霞」に収容された[7]。「福井丸」では18名中、広瀬以下4名が戦死した[7]。
戦後福井丸は引き揚げられ、1907年に解体された[3]。
海上自衛隊舞鶴地方総監部の海軍記念館には福井丸の木材を使った額縁がある[3]。絵には福井丸から脱出する閉塞隊員が描かれ、額縁には沈没していたときのカキ殻が付いている[3]。
脚注
編集- ^ a b c d e f g “Screw Steamer ABERGELDIE”. sunderlandships.com. 2025年1月15日閲覧。
- ^ a b c d “福井丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2025年3月8日閲覧。
- ^ a b c d “海上自衛隊舞鶴地方総監部 海軍記念館”. 帝国陸海軍現存兵器一覧. 依代之譜. 2025年3月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 山田廸生「名船発掘137 福井丸 広瀬武夫とともに旅順港口に沈んだ北前船主・右近家の汽船
- ^ 真鍋重忠『日露旅順海戦史』63ページ
- ^ 真鍋重忠『日露旅順海戦史』66-67ページ
- ^ a b 真鍋重忠『日露旅順海戦史』66ページ
参考文献
編集- 真鍋重忠『日露旅順海戦史』吉川弘文館、1985年、ISBN 4-642-07251-9