祭壇画(さいだんが)またはアルターピースaltarpiece)は、教会祭壇飾りのこと。具体的には、宗教的題材を描いたもしくはレリーフを、教会の祭壇背後の枠の中に取り付ける。祭壇画はしばしば2つないしそれ以上の分かれたパネルから成り、パネルは板絵(en)の技法で作られる。パネルが2つなら二連祭壇画 、3つなら三連祭壇画、それ以上なら多翼祭壇画と呼ばれる。彫刻群を祭壇の上に置くこともあるし、場合によっては、祭壇そのものを指すこともある。

フィレンツェ、サンタ・クローチェ教会の祭壇画

もし祭壇が聖歌隊席と区切られていなければ、祭壇画の表裏に絵を描くこともできる。内陣障壁、背障も一般に飾られる。

有名な例としては、

などがある。

なお、祭壇の前を飾るものはアンテペンディウムという。

二連祭壇画

編集

二連祭壇画(にれんさいだんが、英語:Diptych)は、2枚のパネルでできた祭壇画。二連祭壇画の中には、たとえばウィルトンの二連祭壇画(ウィルトン・ディプティク)のように、小さくて、持ち運びできるものもある。

なお、Diptychには別の意味もある。(ディプティクを参照)

三連祭壇画

編集

三連祭壇画(さんれんさいだんが、英語triptychトリプティック)という言葉は、tri-(3つの)+ptychē(折り重ねる)から成り、つまり、3つの部分に分けられた絵画(多くは板絵)作品、もしくは蝶番で折り畳むことのできる3つの木彫りされた板のこと。真ん中の板は他の2枚より大きくて、3枚の内容には関連性がある。

 
ヒエロニムス・ボスの『快楽の園

この三連形式は初期キリスト教美術から発生し、中世以降は祭壇画の標準フォーマットとなった。その地理的範囲は東は東ローマ帝国から、西はイギリスケルト教会まで。ルネサンス期の画家彫刻家、たとえばハンス・メムリンクヒエロニムス・ボスなどが、この形式を使用した。例として、イギリススランダフ大聖堂 Llandaff Cathedralルーベンスの2作品があるベルギー・アントウェルペンアントウェルペン大聖堂 Cathedral of Our Lady、そしてパリノートルダム大聖堂などが挙げられる。あるものは、教会のステンドグラスの構造に形式を真似られたものも見られる。三連形式は現代の画家・写真家たちにも影響を与えているが、彼らの三連形式は必ずしも蝶番で動くわけではない。

この言葉の起源は古代ギリシア語の triptychos, ギリシャ語表記:τρίπτυχο で、古代ローマ人が書字板(それもまた真ん中のパネルと蝶番で繋がった2つの側面パネルがあった)に書き記したものから、中世になって現在使われる綴りになった。なお、ペンダント・ジュエリーにも三連形式は使われている。

多翼祭壇画

編集
 
ヘントの多翼祭壇画(15世紀)

多翼祭壇画(たよくさいだんが)は、複数の絵画(多くは板絵)や浮き彫りで構成する、祭壇画の一様式。

ルネサンス期のヨーロッパで多く制作され、主にキリスト教の教会で祭壇を飾るためのもの。小型のものは個人の家にも置かれた。 ヤン・ファン・エイクらによるヘントの多翼祭壇画が有名なもののひとつ。 両翼は扉になっており、写真はそれを開いた状態のもの。

背障

編集
 
ガラスで作られた現代の背障(ジャージー島、ミルブルック、ガラスの教会こと聖マシュー教会)

背障(はいしょう、reredos or raredos)とは、教会の祭壇の背後にある衝立もしくは飾りのこと。通常、そこには宗教的イコノグラフィーもしくは像(イメージ)が描かれる。石・木・金属・象牙、またはその混合でできている。像は、絵を描くか・彫るか・金メッキを施すか・モザイクにするか・彫像を置くかする。タペストリーベルベット編み物を使う場合もある。

中世イギリスで生まれた言葉だが、語源は(1)14世紀のアングロ=ノルマン語 areredos、(2)arere (背後)+dos(後ろ)、(3)ラテン語dorsum である。

reredosの同義語に retable という言葉がある。祭壇が壁から遠ざかった時代に生まれた言葉だと思われる。祭壇がまだ壁とくっついていた頃には、祭壇の上か後ろにはreredosはなく、その代わりにretable(垂れ幕の類)があった。また、retableは祭壇の十字架、花、燭台があったところにあった。なお、フランスでは、retable(レターブル)がreredosの意味で使われている。スペインの retabloレタブロ)も同様である。

reredosという言葉は14〜15世紀の後は使われなくなった。しかし、19世紀になって復活した。

関連項目

編集

外部リンク

編集