神谷敏
経歴
編集生い立ち、留学以前
編集1949年、滋賀県大津市に生まれる。滋賀県立膳所高等学校卒業後、桐朋学園大学のオーケストラ研究生として学び、福田日出彦に師事。1971年より東京交響楽団の2番奏者、1974年より新日本フィルハーモニー交響楽団の首席奏者をつとめるが、1976年に渡独。
ドイツ時代
編集デトモルト音楽院に入学し、ヴィリ・ヴァルター教授と、当時ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席トロンボーン奏者であったカール・ハインツ・ドゥーゼ・ウテッシュに師事する。1978年より、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の契約団員を3年間務める。当時ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮下にあったベルリンフィルにおいて、団員として加わった日本人奏者は数名いたが、管楽器奏者として籍をおいていたのは神谷敏のみである。1981年より、カッセル市立歌劇場管弦楽団首席奏者をつとめる。1984年、NHK交響楽団の要請を受け帰国。
帰国、N響入団
編集帰国後はNHK交響楽団に入団し、首席奏者をつとめる。サイトウ・キネン・オーケストラにも設立時よりたびたび参加。室内楽の分野では、東京トロンボーン四重奏団に参加。この団体は、NHK交響楽団首席栗田雅勝、同団バス・トロンボーン秋山鴻市、東京都交響楽団首席小田桐寛之、弘前大学教授和田美亀雄により結成された(結成当時は、全員フリー奏者だった)、日本におけるトロンボーン四重奏の草分けとも言えるグループであり、和田の脱退後に神谷が加入、その後、自主制作盤を含め4枚のCDをリリースし、また、十数回の定期演奏会や海外公演などを行った。また、トランペット田宮堅二・山城宏樹、ホルン山岸博、テューバ安元弘行とともに、「田宮堅二ブラスアンサンブル」(ジャパン・ブラス・ソロイスツ名義でも活動)を結成し、演奏活動を行った。教育の分野では、現在までに武蔵野音楽大学、東京コンセルヴァトワール尚美(現:東京ミュージック&メディアアーツ尚美)、東京芸術大学、桐朋学園大学の各講師を歴任。