神田清治
日本の官吏、警察官、政治家
神田 清治(かんだ せいじ[1]、1854年 8月16日(安政元年7月23日[1][2]) - 1934年(昭和9年)9月4日[2])は、日本の官吏、警察官、政治家。初代千葉市長。
略歴
編集1881年3月、千葉県十等警部となる[2]。以後、同警部補、同警部、兼検事補・千葉県始審裁判所詰・木更津支庁詰、千葉県香取郡長、富山県警部、千葉県警部、同県海上郡長、同千葉郡長などを歴任し、1913年3月に退官[2][3]。その後、千葉県米穀検査所長、同穀物検査所長を経て、1919年10月、千葉郡千葉町長に就任した[2]。
1921年1月1日、千葉町の市制施行に伴い市長臨時代理者となり、同年4月20日、初代千葉市長に就任[1][2]。市役所体制の確立、関東大震災の救護活動、公営住宅の建設、商業学校の設置、千葉市水産会の設立などに尽力した[1][2]。市営住宅建設に関して部下の汚職事件が発生し、神田の市長辞任についての言動が不信感を生み、1924年7月3日に市長を辞任した[1][2]。
脚注
編集参考文献
編集- 木村清吉編『房総医家名鑑 : 附・房総人物名鑑』安井融平、1912年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
- 内閣(昭和9年)「故神田清治位階追陞ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11114256500