神崎縷々
神崎 縷々(かんざき るる、 明治32年(1899年)2月11日 - 昭和11年(1936年)2月28日)は、日本の俳人。本名は神崎 主計[1]。
来歴
編集福岡県宗像郡神興村津丸(現・福津市)生まれ[1][2]。旧制小倉中学校(現・福岡県立小倉高等学校)を経て[3][2]、1922年東京高等商業学校(現・一橋大学)本科卒業[1][4][2]。吉岡禅寺洞に師事した[1]。
藤本ビルブローカー銀行、久原商事、貝島商事を経て[2]、1932年、小倉市京町に火薬商の神崎商店を設立し、同社支配人に就任[5][6]。ジー・ワインベルゲン商会小倉支店長も務めていたが[7]、1936年に37歳で死去した[1]。
親族
編集井筒屋設立者の神崎慶次郎元小倉市長は叔父で養父[6][8]。倉田主税元日立製作所社長は兄。倉田興人元三井鉱山社長は弟[9]。
脚注
編集- ^ a b c d e 「神崎 縷々」『日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」+Plus』 。コトバンクより2024年4月8日閲覧。
- ^ a b c d 福岡都市圏近代文学文化年表 ; 昭和11年九州大学附属図書館
- ^ 神崎 縷々(日本近代文学大事典)国立国会図書館
- ^ 東京商科大学一覧 昭和4年度
- ^ 官報 1932年08月08日
- ^ a b 坂本宮尾『杉田久女: 美と格調の俳人』106頁
- ^ 銀行会社要録 : 附・役員録 40版
- ^ 井筒屋が3店舗閉鎖~厳しさ増すデパート業界(4)データ・マックス
- ^ 現代人物史伝 [第13集] (日立と共に五十年倉田主税の半生記) 図書 河野幸之助 著 日本時報社出版局, 1962