神子栄尊
神子栄尊(じんし えいそん)は、鎌倉時代前期の臨済宗聖一派の僧。平康頼の子[3]。母は筑後国三潴荘の住人藤吉種継の娘[1]。
神子栄尊 | |
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建久6年6月26日 - 文永9年12月28日 (1195年8月3日 - 1273年1月18日) | |
諱 | □光[1] |
生地 | 筑後国 |
宗旨 | 臨済宗聖一派[1] |
寺院 | 肥前万寿寺、肥前報恩寺、筑後朝日寺、筑前薦福寺、豊前円通寺、同国妙楽寺[1] |
師 | 釈円栄朝、円爾弁円 |
弟子 | 徹叟道英、亨庵宗元、楽山、一関祖丘、神光了因、蔵山順空[1][2] |
経歴・人物
編集はじめ筑後永勝寺の元珠法師の室に入り天台宗を学び、13歳で剃髪[1]。承久元年(1219年)、上洛し建仁寺に入る[1]。貞応2年(1223年)、円爾弁円と共に上野長楽寺の釈円栄朝に参じる[1]。天福元年(1233年)、長楽寺を辞し、嘉禎元年(1235年)に円爾弁円と共に渡宋する[1]。円爾は径山の無準師範に参じ、栄尊は江南の諸刹を巡ったのち円爾と合流する[1]。暦仁元年(1238年)、帰国する[1]。仁治2年(1241年)、肥前佐賀郡に万寿寺をひらき、ほか肥前報恩寺、筑後朝日寺、筑前薦福寺、豊前円通寺、同国妙楽寺の開山となった[1]。遺偈に「伝不伝々、何正何偏、途中家舎、両脚蹈天」[1]。